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「三時のおやつ」は間違いであること。

  • 2008/01/31(木) 13:31:35

先日若い女性と話をする機会に、「三時のおやつは軽羹(かるかん)がいい」ということを話していた。そこでちょっと疑問に思ったのがこの“三時のおやつ”だった。
私も子供の頃からこの様な言葉に不自然を覚えたことはなく、時代小説を読むようになって気づいた話ではあるのだけれど・・・
また「文明堂のCMで「カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは~」と言うキャッチフレーズは有名であるが、地方においては文明堂自体が有名でないため子供の頃は知らなかった。

この“おやつ”の言葉自体は、時間をあらわす八つ時(午後2時頃)の意味なのだが、現在ではその感覚がないため、その時間に食べる間食を意味するだけになっている。ですから現代の時間の午後三時と、江戸の昔の八つ時(午後2時頃)とでは若干の食い違いがある。食生活そのものが変わってしまっているので仕方がないのだろう。

他に“四六時中”というのもあるが、これだって4×6=24という二十四時間をあらわし、

しろくじ‐ちゅう【四六時中】
一日中。また、日夜。いつも。昔の「二六時(にろくじ)」を今の24時制に直していったもの。


ということになる。

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昔から気になる言葉は、いろいろありますが・・・

  • 2008/01/30(水) 09:14:09

何故だか気になっている言葉の中に『陳列』がある。違和感のある外国語的な音の響きが、通常の会話においても特別に耳に残ってしまう。意味に特別なことがあるわけではなく、平易によく使われる言葉であります。

ちん‐れつ【陳列】
[名]人に見せるために、品物を並べること。


と、同時にこの『陳列』されたものに対する、お客側の態度も気になる。
よく衣料品店の店員さんが服類をたたみ直している風景に出会う。客が広げて散らかしていった後始末をされている。
缶詰などがレベルを全面に揃えて綺麗に並べてある。客が手にとって元に戻す時にばらばらにして戻している。酷い時には傾けたあったりする。
店頭で斜めに傾けた台の陳列物を、自分の見やすいようにしてぐっと押しつけて見る。その列はそのまま全部が傾いたまま倒れている。こんな人は決して自分がしゃがんでみたりすることはない。
こういったことはお店をぐるぐる見て回ると、店員さんが後始末をしている事で判る。
買い物に来た客が勝手気ままにする行為を咎めることは出来ないだろうが、自分がした事を綺麗に後始末するのは日本人にとっては当たり前ではなかったのかな。

下賤な話ですが、刑法175条『わいせつ物頒布罪』というのがありますが、これは通称で“わいせつ物陳列罪”とも呼ばれ下賤なやからの下劣な罪名であります。
この『猥褻(わいせつ)』という言葉も、随分前に敬愛する竹中労さんであったか、野坂昭如さんであったか下記の様に話されていた。
“猥”とは一般大衆、民衆であり、“褻”とは人々が着る普段の衣服のことであります。つまりは一般大衆が身につける物自体が、公の立場、国家権力から見れば“わいせつ”なのだそうであります。四十年以上も前のお説を今だに信じておりますが・・・・・・

静かでひっそりとした長篇小説に思わぬ事件が・・・

  • 2008/01/29(火) 08:27:29

<小雪の降る中のひっそりとたたずむ長屋の暮らしが感じられる表紙絵>
本sawadanijinohashi

澤田ふじ子著『虹の橋』。長編小説であります。
蓬田やすひろさんの絵には、簡素な直線的な線が多い。音もなく降る雪や、遠方にかすむかすかに見える寺の塔が、錦絵の手法のようにぼかされた背景にとけ込んでいる。

『虹の橋』とは何なのでしょう。遠くに見えていても渡れぬ本物の虹でしょうか、それとも虹のように綺麗な夢の架け橋なのでしょうか。いずれにしても「虹」は、美しくもあり、儚いものの代名詞ではありますので、ストーリーもそのイメージで進んでいきます。

物語は京都の裏長屋に住む貧しい家の子供たちが主人公です。長屋付き合いが深く、優しい慈愛に満ちたもので、他人の子供も自分の子供も分け隔てなく可愛がる庶民の情愛が見事に感じられる作品です。僅か五つ六つの子供たちが、成長して二十歳くらいまでに育っていく課程での細々した事件やその生活が織り込まれています。

成長していく子供たちは、見ていて楽しみなものだけれど、寂しく貧しい環境の元ではやはりやりきれないものを感じます。繊細で儚げなでいて、ある反面に恐ろしいほどにたくましく衝動的である子供たちの生きざまが語られています。
子供たちの強い絆が、その強さ故に愛を引き裂いていく。あるいは大人の愚かな行動のために、犠牲にならざるを得ない弱い子供たちがいます。

最後の悲恋のシーンには、思わずこれ以外の解決はあり得ないけれど、やはり寂しい人間の性に泣かされました。

他県に行った時に、県庁なんて訪れるだろうか?

  • 2008/01/28(月) 20:28:32

今日の宮崎のニュースのトップはこれだろう。
<宮崎県庁30万人目の来庁者を祝う東国原知事>
雑kencho01

県庁見学者30万人突破 300日でスピード達成
宮崎日日新聞(2006/01/28.18:06)
東国原知事の就任で新たな観光スポットになっている県庁の見学者が28日、30万人を突破した。昨年4月に集計を始めてから約300日でのスピード達成で、県内の主要観光地にひけを取らない集客力を見せている。・・・(後略)


宮崎に関心があるのだろうが、これもひとえに東国原知事さんのお陰なのでしょう。

ただ近頃はちょっとこの方の路線を変更しつつあり、自民党候補の衆院選での応援を口にしたり、大阪府知事選挙では自民党推薦候補の応援に駆けつけたりと、随分と体制派よりになってきた。
無所属、しがらみのない政治を提唱していただけにちょっと残念ではある。

「かっこいい!」と思わず・・・・

  • 2008/01/27(日) 20:45:02

楽器をなにげなく、弾けることは羨ましい限りだ。
「古いギターをポロンとならそ!」という拓郎さんのフレーズにあるように、楽器をさりげなく弾けることは実に私にとっては、“かっこいい!”ことなのです。
で、出来ればこれがピアノだと申し分ない。
ピアノはさりげなく弾くことは出来ませんけれど・・・

本日電子レンジを下見で見ていましたら、電子ピアノというものが並んでいました。
これはピアノではありませんが、まあピアノの演奏が出来ない人にはおいそれとは弾けないものです。
四人組の男のたちが目の前にいたのですが、四人とも破れかぶれのジーンズや服装でちょっとだらしなく感じたものでした。
しばらくすると妙なる響きというのか、演奏というのか、その展示をされていた電子ピアノを弾く音がするのですよ。ちょっと周りを見渡しましたが、その四人組以外に人はいなかったので、あらためて電子ピアノの所を覗いてみると・・・・なんと。

なんと先ほどの四人組の一人が軽やかに演奏しているではありませんか。
しかもそれは半端ではなく修練を積んだ人の手になるクラシック音楽です。
手慣らしをすませた彼は、ピアノ協奏曲まで軽やかにこなすのです。
これは驚きと同時に感激でしたね。爪を隠していたのですねえ、この方は。
見かけにもよりませんでした。

もっと驚いたのは、この彼の友達連中も彼がピアノを弾けることを誰も知らなかったらしく、みんながとても感心していたことです。

昔、“能ある鷹は爪を隠す”と親から習ったのですが、隠す能もなかったし、爪もさして鋭くないので、未だ平々凡々人です。

普段使わなかったものだったが・・・

  • 2008/01/26(土) 19:16:59

今まで普段は余り使わなかったものに、蝋燭と線香があります。
厳格な父は、信心深くよくお灯明をあげていた。
悪くなって自分であげられなくなると、不信心の家族は誰もあげなくなった。
そもそも手が震えたりする病気だったので、火を灯すことが危なっかしく、畳にも焦げ跡があったくらいで私たちは反対をしていた。

その買い置きの蝋燭と線香は、結果的に父にあげることになった。
お通夜からずっと火を消してはいけないと、誰か彼か灯し続け、後は葬儀屋さんが沢山持ち込んできた。
ところがここで驚いた。お通夜用というのがある。
親族が火を灯し続けることが疲れる原因なので、それをいたわるためなのか、長時間消えないのである。
蝋燭はかなり大きめで十一時間、線香は蚊取り線香のような渦巻き型で十八時間もつらしい。
それでも蝋燭は火の危険が気になって眠れないのと、蚊取り線香みたいな線香はなんだか品がなさそうで、併せて通常のものを使ったので結局起きていた。

見たい映画は、主演が子供です。

  • 2008/01/25(金) 20:57:32

見たい映画が三本ほどあるのだけれど、そのどれもが子供も楽しめるファンタジーです。これら三本も近日公開されるようであります。近年のこの手の映画は、お子様向けというより、大人も充分に見ることが出来る大作が多い。
CGの発達と多様化で、映画は大きく変化しつつある。その中でも現実離れしたこうした映画の超現実空間や夢想空間には実に効果的に使われるので楽しめます。

<大好きなニコール・キッドマンが出ています>
映画iyra01

『ライラの冒険 黄金の羅針盤(2007)』

世界の果てへと旅する少女ライラの冒険を圧倒的なスケールで映し出す。監督と脚本は『アバウト・ア・ボーイ』のクリス・ワイツ。ヒロインの少女ライラ役には、新人のダコタ・ブルー・リチャーズがふんし、ニコール・キッドマンやダニエル・クレイグを始めとする豪華キャストが脇を固める。哲学的なストーリーや幻想的な視覚効果など、壮大な世界観が楽しめる。


<かの名作「卒業」のダスティン・ホフマンも年を取っています>
映画magorium01

『マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋(2007)』

ナタリー・ポートマンとダスティン・ホフマンという豪華共演による、世界でただひとつの特別で奇想天外なおもちゃ屋を舞台にした心温まるファンタジードラマ。おもちゃ屋の再興を目指す支配人とオーナーの冒険が温かく描かれる。


<よく見かける顔ではあるけれど・・・>
映画arthur01

『アーサーとミニモイの不思議な国(2006)』

リュック・ベッソン監督最新作 実写と3-Dアニメが融合した超ミラクルなファンタジー・アドベンチャー!冒険好きな少年が家族の危機を救うため、体長2ミリのミニモイ族が暮らす“ミニモイの国”に旅する。


この映画で主演しているフレディ・ハイモア君は、「チャーリーとチョコレート工場(2005)」「ネバーランド(2004)」等を始め、いろんな映画に出ている子役の中でも名優の一人です。
もうDVDになっているのかなあ?

この本のタイトルが、まるで別な意味に感じられる。

  • 2008/01/24(木) 16:38:15

<夜の闇に迫る捕り方の面々と、主人公達。なんだか緊迫感はない>
本sawadahitodenashi

澤田ふじ子著『ひとでなし』、この副題は「公事宿事件書留帳」。
TVでお馴染みだったシリーズだそうだが、そのTVドラマを一回も見ていない。
TVといえば、さすがにこの四、五日は世間様から隔絶した生活だったので、まるで見ていないため事件・ニュースすら知らない。
大人しくTVもつけないで、ひたすら本を読んでいた。

この本のタイトル『ひとでなし』というのは、辞書を引くと、

ひと‐で‐なし【人で無し】
[名・形動]人間らしい心を持たず、恩義や人情をわきまえないこと。また、その人や、そのさま。


本の内容もその言葉通りなのだが、不思議に今現在の自分に置き換えて考える所為か、「ひとでなし」が人でない(人間でない)もの“死人”という感じにとれる。人の死を身近にすると、それなりに感覚がちょっとおかしくなるのですかな・・・・?

貧富の差の拡大。ホームレスやフリーターの驚くべき増加。若者たちは企業へ就職してもいつリストラされるかわからないとして、就職する意欲を失い、浮遊している。日本の将来に絶望しているどころか、関心すら持たなくなっている。
コンピューターの普及や、あらゆる分野での機械化で人手が余り、リストラが今も進行しているが、資本主義経済であっても、増益ばかりを考え雇用のない企業の存在は、<社会悪>以外のなにものでもなかろう。


この作家さんのあとがきは非常に面白い。後書きがない方も多い中で、時節にあわせた社会への批判や評価が書かれて、とても時代小説のあとがきとは思いにくい。
そうした現代の生きている事実や事柄が念頭において、時代を置き換えられた時代小説として生まれ変わっている。

濡れ足袋の女
吉凶の蕎麦
ひとでなし
四年目の客
郭の仏
悪い錆
右の腕


中に書かれた七編の短編の全てがそうではないだろうが、特に最後の「右の腕」は読む途中からかの帝銀事件を連想させられた。

有り難く感謝をした女医さん。

  • 2008/01/23(水) 19:03:04

四十年近くもお付き合いをさせていただいている女医さんがいる。
家族中が面倒を見て貰っているのだが、父は特にお世話をかけた。

父が通院できるときからでも18年、寝たきりになってからほぼ一年、往診にも頻繁に来ていただいた。
何度もあわやという時を、この女医さんに励まされ、一緒に乗り越えて来た。
今回は駄目だった。

救急車と同時に先生も駆けつけて下さり、救急処置の間は、私の老母を横から抱えるようにして、支えて下さっていた。
細やかな心遣いで、私たち動転した家族には出来ない行為だった。
最後の確認と、後処置においても手を煩わせていただいた。
女医さんであるだけに、実に細やかな心遣いで有り難かった。
このお方には、感謝をしても感謝しきれるものではない。
口には表せないほどの、多大なる恩恵を被っている。

自宅介護をするのはやってみてとても大変だ。
病院に入らずに自宅介護を受ける病人本人にとっては大きな喜びだろう。
しかしその看護するまわりの家族はなかなか筆舌に尽くしがたい苦労が多々ある。

そんな時に、力づけたり、見守ったり、指導をして下さったりする女医さんとの、信頼出来る連携プレーは、自宅介護という大きな課題に必要不可欠なものだったと感じている。

忘れられないこと

  • 2008/01/22(火) 17:28:43

娘が結婚した翌日に、父が亡くなった。
娘の結婚を見守るように逝ったことが、みんなの感激だったようだ。

享年九十一歳。
延べにして18年も患って、寝たきりになってほぼ1年経っていたが、その逝く時は眠るようであった。
天寿を全うした大往生であった。
最後の最後まで、手厚い看護に明け暮れた家内に深謝。

式場で大きな声で家内にお礼を言った。

久々の何十年ぶりかの徹夜。

  • 2008/01/21(月) 23:05:23

父が昨日に亡くなって、本日はお通夜です。
何十年ぶりかの徹夜です。
命の炎が消えた今、せめて灯明や蝋燭の火が消えないように・・・

禍福は糾える縄の如し

  • 2008/01/20(日) 15:54:24

祝儀の翌日が、不祝儀。
まさに『禍福は糾える縄の如し』
本日よりちょっとお休み

お目出度い

  • 2008/01/19(土) 08:47:46

本日は娘が結婚をする。
貰って下さる方に、深く深く感謝している。
実にお目出度い日であります。

わけてもこのシリーズ本が好きであります。・・・その②

  • 2008/01/18(金) 20:47:41

“敵討ち”というのは、時代小説の大きなテーマであり、沢山の作品が存在する。
自分のブログの中でも、十数編の敵討ち小説について書いている。
これは武家社会における悪慣習であり、追う者も追われる者もそれぞれに因縁と思惑があり、その生涯をかけた追い駆けっこが話として小説になりやすいのだろう。

自分の人生そのものを賭して日本全国を歩き回るこの敵討ちは、交通機関や、連絡網の未発達な時代には、雲をつかむような実感のもてないあてどない旅である。
果たしてそのような価値があるのだろうか?
よく殺された者が我がこの胸に抱かれつつも、「無念を晴らしてくれ!」と敵討ちに出ていくことを望み言い残す。
映画としては解らなくもないが、冷静になって考えると、死んでいった者が草葉の陰で、我が子の苦労する姿を本当に望んでいるであろうか?

今回のこの澤田ふじ子著『狐官女』にも、敵討ちが話題として大きな比重で出てきます。
主人公を喰って出てきた新たな人物が、実に頭脳明晰で、洞察力並び推理力が巧みで、風雅で、人生を有意義に生きるために武士を捨てたという小説上最高の人間像です。
この人物の友人が敵討ちに出ていかざるを得なくなって、娘を預けて旅立つ。
彼が敵を討つかどうかは、本文の中では余り出てこないので、ちょっと気になる程度であったが、最後の章が劇的でした。

やっぱり澤田ふじ子さんは澤田ふじ子流でこれを処しておられる。
名人芸のような良いお話であり、読ませていただいて深謝。

わけてもこのシリーズ本が好きであります。

  • 2008/01/17(木) 12:58:42

<被衣(かずき)をかぶる女官の妙に色っぽい姿が美しい村上豊さんの表紙絵>
本sawadakitsunekanjo

澤田ふじ子著『狐官女』、副題は「土御門家陰陽事件簿」。
表紙絵はいつも味わいを感じる村上豊さんですが、この本のタイトル通り、妖しげな色気を振りまく女が書かれています。黒沢映画に出てくるような被衣(かずき)をかぶる姿は、コミカルな絵の多い、村上さんには珍しい色気を感じさせます。
本文の中に、何カ所かこの被りものに関する表現があるくらい美しいものとして語られています。

<御小袖かずき>といわれる華麗な被衣(かずき)をかぶり、半ば公然と外出する女官もいた。
彼女たちが、目も覚めるような裂地に刺繍まで施された美しい被衣(かずき)をかぶり・・・(後略)


前に読んだ同シリーズの『鴉婆』の続きとおぼしき作品です。内容も繋がります。
中身は陰陽師の支配、土御門家に使える譜代衆・笠松平九郎が主人公となった物語なのですが、今回はちょっと趣向は違っていました。前回の『鴉婆』の時にも、七編の短編の繋がりが一本の長篇になっていたように、今回も同様なパターンではあります。

因業な髪
闇の言葉
奇端の鞠
狐官女
吉凶第九十一段
畜生塚の女
浄衣の仇討


各々話の繋がりは余り感じられませんが、今回登場する小藤左兵衞が見事な役柄で、随所にきらりと感じさせる逸話が設けられています。
この主人公を喰っている小藤左兵衞は、薄汚い五条・鍛治屋町の長屋で貧乏暮らし。そして年少の他人の女の子を預かり育てている。貧しくともさして物事に拘ったりせず、のんびりと暮らし、古文書、和歌、文学に通じ、礼節を知り、博学で、仙人のような高潔な浪人であります。自ら致仕して浪人暮らしをしているのだが、人間を見る目と達観した人生観が彼の暮らしに精神的豊かさを感じさせます。

この彼が生育している女の子も、他人のしかも敵討ちに出かける男に託された子供で、謂わば縁もゆかりも薄いのだけれど、託す方も託される方も篤い信頼がなければ出来ないものですし、またこの子供が実に賢く、恩義を忘れぬ暖かい子供で魅力的です。

とにかく登場人物に慈悲の心が深く、他人との交流にも、相手に優しく思いやりで包み込んでしまう豊かさが読んでいく人々に感銘を与える。
澤田ふじ子作品を読み始め当初に感じていた、京都人の掛け合い漫才みたいな、相手の揚げ足を取ったり非難合戦の如き会話にも慣れて、いまでは聞き慣れた会話のような耳に心地よいものになっています。
また該博なありとあらゆる知識には驚嘆いたします。主人公らがそれとなく話して聞かせる逸話や、物語、京の町の名の由来、御所の女官の官位や仕組みそして中身はなど、まさに著作者の知識の披見であります。
これもまた見事なものであります。

最後にこの本も、「鴉婆」と同様に、金文字で書かれたタイトル文字『狐官女』のフォントが良い。

変な招待状

  • 2008/01/16(水) 16:50:25

変な招待状が届いた。まあ単なるDMなのだけれど、会場が遠くて東京なのですよ。
案内状は「第19回国際宝飾展」となっている。
それほど妖しげでもないので、第19回国際宝飾展をネットで検索しました。

第19回国際宝飾展
会期:2008年1月23日(水)~26日(土)
会場:東京ビッグサイト


この季節は、遠方には行かないし、ましてや寒い東京には決して出かけたくない。割と好きな車の「東京オートサロン」だって、我慢して行かないくらいなのだ。

でも興味ある記事が掲載されている。

第19回日本ジュエリーベストドレッサー賞授賞式

  レセプション・パーティーにて、受賞者ご本人出席のもと表彰式を行います。

日時: 1月23日 [水] 18:30~
会場: 東京ビックサイト レセプションホール
十代部門  堀北真希
二十代部門 加藤ローザ
三十代部門 中谷美紀
後略・・・


もし出かけていけば、中谷美紀さんご本人をお見かけすることが出来るかも・・・

※ レセプション・パーティーには事前のお申込みが必要です。 ⇒お申込みは???から


ちょっと誘惑にかられる内容ではあります。・・・私にとっては。
でも宝石も買わないし、フォーマルな格好も嫌だし、行くわけはないけれど。

好ましい記事を見つけた。

  • 2008/01/15(火) 08:57:11

『夜間はハイビームが基本!?
ローカルルールに惑わされるな』

面白い記事を見つけました。車を運転する上においても、ルール、作法のような物が地方によって違うことがある話が書かれている。

BMWドライバートレーニング・チーフインストラクターで07‐08日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員も菰田 潔さんによると「交差点などで前方から来たクルマのパッシング。関東圏では『お先にどうぞ』の意味が多いが、関西圏では『こっちが先に行くぞ』といった合図であることが多い」とのこと。地域が違えば、クルマの運転や合図にも大きな変化があるのだ。


田舎者の私も先日東京で、渋滞の車列に続こうという車がハザードランプを点滅して近づいていくのを見た。渋滞の最後尾が見えない地点で見ていたので、何か事故かなと最初は感じた。ところが段々渋滞の最後尾が見えて来るようになると、渋滞に近づく車がそのようにすることが判った。
これも一種のローカルルールなのでしょう。
私の住む宮崎では一般道路は渋滞は極めて少なく、もともと低速に走っている道路ですので、この様にハザードランプを点灯させて近づくようなことはありません。

でも時折、進入を許してくれたり、譲ってくれる車に後方へ向けてかハザードランプを点滅させる人はいるようです。近頃公共機関のバスなどでも見かけます。これも煩雑で煩わしい行為に思えます。大体車の構造からして、ハザードランプは手近な所にはついていません。つまり無意識にぱっと触ってしまうのを防ぐ意味でも、遠い所にスイッチはあるはずです。これを運転中に身体をゆがめて押す行為自体が危険運転助長行為ですな。

菰田氏によると、「『ベテランドライバーほど無駄な合図を出さず、法律で決められた最低限の合図で走っている』といった調査結果があります。基本に忠実が一番いい運転ということですね」とのこと。


この言葉は納得出来ます。

また今年も「どんど焼き」に行ってきた。

  • 2008/01/14(月) 21:25:47

<勇壮な炎の祭典・どんど焼き>
風景dondoyaki01

毎年例年どおり1月14日は、“どんど焼き”にいきます。
しめ縄や正月飾りを、宮崎八幡神社にて燃やしていただき、青竹の先につけた餅を焼いて食べます。何処にでも日本ではある行事でしょうが、これが終わらないと正月も終わりません。
2006年『「どんど焼き」に行ってきた』、2007年『今年も「どんど焼き」に行ってきた』とすでにこのブログを書き始めてからも、三回目の“どんど焼き”を書いています。

<炎の柱は、天は焦がしませんが近くの木々の梢に届くほどです>
風景dondoyaki02

寒い季節に暖かい火がそれ自体がご馳走です。沢山の人々が神聖な火の元に集い、敬虔な気持ちで今年一年の無病息災と家内安全とを祈り、おまけとして焼きたてのお餅をいただいて頬ばります。
家内はその後に、食事に行くことが例年の楽しみとしています。
今年は何故か焼き鳥というリクエストでしたが、希望のお店がお休みでちょっと残念でした。

今年初めて読んだ本・・・その②

  • 2008/01/13(日) 18:28:04

時代小説において、いつも違和感が感じられるのは身分制度であります。
江戸時代は武家社会が世の中の頂点に存在するため、武家が一番偉いのは当たり前なのですが、現代社会に暮らすものには理不尽な制度です。
徳川幕府の成立に功績のあった武士等が一番優遇されるのですが、それは時代を下ってきても、能力と力量に関係なく、禄高や地位は決まったままであります。
それは致し方ないとして、市井の社会に暮らす武家においても、武士であるだけに優遇されるものがいるのは、ちょっとおかしいと感じることが多々あります。

親代々の浪人は暮らし向きもそこそこに貧しく、一般の庶民と大差なくつましく暮らしておりますが、この本に出てくる主人公菊太郎なぞは、いい加減他人の善意の甘えのうえに優雅に暮らしています。
立派な親の元に生まれたというだけで、世話になった町人におんぶにだっこの生活をしているのです。本文にも公事宿の居候と表現されております。
人一人、衣食住をまかない、飯を食わせ、世話を焼き、小遣いを持たせてといろいろ考えるとなかなか出来ません。

居候という言葉は今では余り聞きませんが、ちょっと前までそんな存在の人がいて、また反対に経済にゆとりのある人はパトロンとか言って、芸術家などに後ろ盾になったりしていたものです。
またこの人達の関係というのは、居候をされる方は豊かな経済力と包容力とを、また悠々と居候を決め込む人も、遠慮のない悠然とした心根がないと自然と壊れてくるでしょう。へんにいじましい性格で、養われているという卑屈な態度では、うまくいくものもうまくいかないものでしょう。
この本の主人公、菊太郎は実にその辺りが上手く書けているので、そんなもんかいなと自分では納得させています。


澤田ふじ子さんの著作本はほとんどが京都を舞台にしております。京都弁にはかなり慣れて参りましたが、未だ慣れないのが会話の中の断りの言葉であります。
些細なことではありますが、武士とは如何にも威張った存在であるかのようです。

「(途中略)・・・さような代物、支度していただくにはおよびませぬ。ご無用に願いたい・・・・」


これは主人公の武士が酔ってふらふらする身体を案じて、篭を呼ぼうとするが断られる。せめて提灯でも持たせようとする料亭の主人に対しての断りの言葉である。
この「ご無用に願いたい・・・・」とか、「心配ご無用」とかよく使われる武士言葉なのだろうが、もし私が言われたら、ちょっとはくってかかるでしょうね。せっかく心配をしてやってるのにと・・・・

今年初めて読んだ本

  • 2008/01/12(土) 08:42:13

<やはり稚拙に感じる蓬田やすひろさんの表紙絵だが、何故か味わいがある>
本sawadasenakanodokuro

この表紙絵が何故に稚拙かというと、このシーンは鋳掛け屋が背中の髑髏の入れ墨を見せて、町中の女にすごむという設定であります。鋳掛け屋は気の弱い男ですから、こんな感じでボォーと立ちすくんでいるだけでもいいのですが、背中の入れ墨がなんとも迫力なくて・・・

澤田ふじ子著『背中の髑髏』、副題は「公事宿事件書留帳*五」
NHKの金曜時代劇シリーズ「はんなり菊太郎」の原作として有名な本です。私はTVの方を一回しか見ていないので、あまりイメージが違うと思っているのですが・・・

このシリーズもすでにこれが五巻目で、中には七編の短編が収められている。単純に三十五のお話が書かれていることになる。

背中の髑髏(どくろ)
醜 聞(しゅうぶん)
佐介の夜討ち
相続人
因業(いんごう)の瀧
蝮(まむし)の銭
夜寒の辛夷(こぶし)


著者の澤田ふじ子さんはとても多作な作家であられますので、他にも沢山のシリーズ物がある。若干傾向は似ているとはいえ、それぞれの登場人物があり、その本独特の背景や趣旨はあるので、それらを同時に書き分けていく行為は素晴らしい。人物の個性と人柄の良さ、読後感の爽やかさはほとんど共通であり、これは作家さんの人物観と見識の高さゆえだろう。

これは想像に過ぎないが、作家さんはほとんど毎日ネタになる物を鋭い感覚で探しておいでなのだろう。何かのきっかけで得た些細なことが、大事な本のネタになるのだと思う。
それがなんであれ、つかんだものをいろいろと考え直すうちに、これはあのシリーズのこんな話に使おうとお考えになるのではなかろうか。シリーズとして書き分ける物が多いという大変さとは別に、ネタは何処かに当てはまりやすいという利点もあるのではなかろうか。それらを適切な場所へ、適切な季節で、いろいろアレンジを考えることによって、最高の物語に作り上げることが出来るのでしょう。
それにしても才人でらっしゃいますよね。

寒いのが苦手??

  • 2008/01/11(金) 20:49:55

実にだらしない話ではありますが、寒いのが苦手なのです。
寒いと動き回ることが鈍ってくる熱帯の動物と同じです。
だから寒い所へ行きたくありません。

じつは『AUTO SALON 2008』に、いつも行きたいと思うのですよ。
でも何故か寒い時期に重なるので、もっと暖かな時期に催して欲しい。
仕方なくあちらこちらの『AUTO SALON 2008』のHPを探して楽しむことにしましょう。
ホンダ
トヨタ
オートバックス
BMWおたっきーず「東京オートサロン2008BMW特集」は、とても気に入ってます。

様々なHPがあるが、Yahooにも「東京オートサロン2008」など詳細があって楽しめる。

とても気に入った写真が見つかった

  • 2008/01/10(木) 18:05:57

<この笑顔はとても良い感じ>
中谷int01

何かとても自然な笑顔で、ちょっと年齢を大人に感じさせる良い写真です。
「シネマトゥデイ」『自虐の詩』作品でのインタビュー記事です。
なくならないうちに勝手に戴いてきました。
“写真:田中紀子”とありますから、写真師・田中紀子さんごめんなさい。

今年年始めの初参り

  • 2008/01/09(水) 21:08:49

ちょっと体調悪いかなと思った。鼻風邪気味。
お正月以来、お祝い事を含めて食べてばっかりで、運動不足でした。
そこでちょっとお散歩がてら、神社に詣でて一年の安全祈願をと動きました。

神武天皇の御旅立ちの地である宮崎市には、宮崎神宮という由緒正しく大きなお社があるにはあるのだが、今回は眼の神様『生目神社』に出かけました。
旧正月の14日から16日までの三日間は、地元では“生目さん”のお祭りとして、眼を患う人々の日本全国からの参拝客がとても多い所です。
一月の後半になりますので、本日は人一人いませんが、その準備で小砂利や庭木の手入れとボランティアの方々があちらこちらで働いておられました。
「宮崎あっちこっち」のHPに詳しく載っています。
宮崎市生目商工会のHPには、その折りの賑やかな写真も掲載されています。

<静かな佇まいのひなびた参道>
風景ikime01
普段考えられない町屋の一郭にも見えますが、ここが参道です。正面奥にお社が見えます。

<華麗なお社>
風景ikime02
小作りではありますがしっかりした神殿で、田舎にあるものとは思えないほど立派な建築です。

<裏へも回ってみました>
風景ikime03
田舎へ行きますと案外と粗末な作りのものや、コンクリートなんて代物もありますがこちらは違うようです。

<細部の作りも見事であります>
風景ikime04
神社建築の細やかさや精巧で荘厳な木組みが本格的です。

目の神様といっても目が悪いわけではなくいので、家内安全を祈ってきましたが、たしかに何かをお願いしたら聞いて下さるような慎みある佇まいの神社です。
人のまるでいない静かな時に、こうして参拝するのも御利益があるかも・・・・・・

図書館が休みなので、

  • 2008/01/08(火) 07:16:38

図書館が休みなので、まともに読む本がない。
もっぱら「特選街」や、PC関係の雑誌をみたり、iTunesにアートワークを貼りつけたり、You TUBEで動画を探したり、実に物足りない事で遊んでいる。

PCでいろいろやっていることは、それなりにお勉強でいいのだけれど、年寄りの私は活字がないとなんだか不足で物足りない。
本日は図書館にでかけるぞ!

カラオケで歌う

  • 2008/01/07(月) 21:50:05

学生の頃アルバイトで、売れていない若い歌手さんの営業に三カ所ほど付き合って田舎を廻った事があります。正確には何かのイベント会社の催しに、彼が華々しく歌うというものだったのでしょうが、いずれも体育館のようなところで、名の知れぬその歌手さんは謂わば“どさ廻り”をしていたのでしょう。その後、一度として華々しい活躍もなかったし、彼のレコードを聴いたこともありません。

この歌手さんがステージを終わると、照明とか音響とか何とかする小部屋へ行くのです。もっともそんな気の利いた所があるわけでもない場合があります。ある時、帰り際に「????を忘れた」と言って、走ってその小部屋に戻りました。
何だったか聞きただすと、「カラオケ」と言ったのです。
この言葉が解りませんでしたので、尋ねると「空っぽの音だけが入っているオーケストラ」と教えてくれました。
私が初めて聞いた“カラオケ”という言葉の最初でした。
名もない歌手がオリジナルの曲を歌い、しかもその彼は楽団のない場所でしか歌わないので、“カラオケ”なるものを持参して廻っていたのです。四十年以上の昔、そう言うものがあることすら知らなかった私は感慨深いものを感じました。
あの歌手は当時私より少し上の方でしたので、もう老境に入っておいでなのでしょうが誰だったのでしょう?

それから十数年後に、初めて私がカラオケで歌ったのは、8トラックのカラオケでした。カセットがあったり、でっかいLD盤のの機械があったりと形は様々にかわりました。案外上手でしたし好きでしたので、見開きに二曲ずつ書かれた歌詞だけの歌本をぱっと開くとどちらかのページが歌えるほど、レパートリーもありました。ですが歌詞だとか、映像だとかがTV画面に出るようなる時代には、ぱったりと縁がなくなりました。
営業の時代が終わった所為でしょうし、もともと飲みませんのであえて行くことはなかった。

で、また二十年ぶりくらいにお付き合いが増え、飲み屋さんに出かけなくてはいけなくなり、仕方なく歌ったりしましたが、時代とともにおおいに機械が変わっていて、その操作が愉しかった。

坂、坂、坂・・・江戸は坂の町、そして女の町。その②

  • 2008/01/06(日) 08:01:42

南原幹雄著『江戸の女坂』には、十一編の短編が収められている。
その中の二編に、「りえん状」というものが出てきます。
江戸の時代、夫婦の離婚については、男性からしか離縁を申し立てることは出来ません。女性の方が別れを望んでも、男性がこの“離縁状”、“去り状”、俗に言う「三行半」を書かなければ、離婚はかないません。

この本の六編目、「暗闇坂十三夜」の中には、文面そのままに

 りえん状
その方のこと、不縁につき、我等
このたび離縁いたし候。然る上は
いず方へ縁は候とも差構
無之仍而如件
    大野屋こう兵衛(爪印)


これは、主人公のおつやが役者と浮気をして、我慢に我慢をする旦那、孝兵衞が親戚や周りからの言葉に耐えきれず可愛い嫁を離縁する下りで出てきます。

もう一つは、八編目「江戸時雨坂」に出てきます。

 りえん状
其方こと不縁につき我等
このたび離縁いたし候、然る上は
何処へ縁は候とも差構え
無之仍而如件
    山田屋善之助(爪印)


若干の文面の違い、句読点の打ち方は、作家さんの裁量で違いはありますが、内容は同じもので同様に三行半に書き付けることは変わりません。
三行半に書くことで、俗に「三行半(みくだりはん」と呼ばれているわけです。これはもし無筆の男がいたならば、長い棒線を三本、半分の棒線一本書くだけで通用するというのですから、実にいい加減なものではあります。

男に権限があるとはいえ、棒線三本半の「三行半(みくだりはん」を突きつけられる女人の身になれば、沽券にも関わるし、気分の良いものではありますまいか。
江戸の町は女が少なく、貴重で大事な時代であったにもかかわらず、武家重視の世界観はこんなところにも男性偏重のしわ寄せがあったのでしょう。

坂、坂、坂・・・江戸は坂の町、そして女の町。

  • 2008/01/05(土) 21:09:36

<直線的な構図がお得意の蓬田やすひろさんの表紙絵>
本nanbaraedono

南原幹雄著『江戸の女坂』
先に目次を

本所離縁坂
下谷思案坂
百日坂の夕映え
雨の道行坂(みちゆきざか)
相州もどり坂
暗闇坂十三夜
女の坂道
江戸初時雨(はつしぐれ)
星月夜
おつな憂愁
富坂春雨傘


ほんの短い短編が十一編、それでも行替えの少ない会話文があまりない文体なので、びっちり書かれた読み応えのある本です。
この六編目になる「暗闇坂十三夜」にある冒頭が気に入っています。

四谷は坂道の多い町である。
したがって、その名のごとく谷も多い。


四十年も昔に東京で学生だった私は、当時地理を知るためと、かぶれた文学のために東京を歩き回りました。今ではどこだか忘れてしまったが、いろいろ歩いていると突然、歩いていた道がなくなって、急に谷になりそして階段となっていたりします。坂も実に多いのに驚かされました。
我がふるさと宮崎は、広々した平地が多く、坂はかなり郊外でないとありませんので、何処へ出かけても上り下りを感じる東京の土地にはびっくりしたものです。

この本の特徴は、タイトルの通り江戸の住まう女、しかもいい女ばかりが、縁ある坂にまつわる話が書かれています。話の内容も一編一遍違うことは勿論、その悲劇も喜劇も、すべて生きた女の証しなのです。女性が女性であるだけに、いい女がいい女であるだけに、生まれて来る悲喜劇が活写されています。
どのページから読み始めても愉しく、面白い本です。

その両者をむすんでいる坂道は百日坂と土地の者に呼ばれている。その呼び名の由来はわからないが、お百度参りからきたものだろうとかな江は思っている。


こんな表現が好きなのは、自然と作者はその名で呼ばれている“坂道”を作者ではなく、登場人物にそう思わせることによって間接的に、読者に柔らかに女らしく語って聞かせている。
例は悪いかも知れないが、先日まで呼んでいた澤田ふじ子さんだと、その“坂道”の名の由来を調べ、それを事細かに読者に教えてやるという態度があったようだ。

今年一番の頂き物はうれしい???。

  • 2008/01/04(金) 08:51:46

<懐かしい頂戴物「ぬれ甘なっと」>
雑nureama

年末年始といろいろと頂き物が多かった。
お菓子果物から日持ちのする塩干物、佃煮と食べ物ばかり。
その中で一番に私が喜んだのは、この『ぬれ甘なっと』だった。
新宿花園にある“花園万頭”の有名なお菓子で、最初に食べたのはいくつの時だったろう。

私は若い頃は甘いものが苦手で、お菓子を口にしたことはなかったが、こればかりは嬉しくいただいた。四十年もの昔、学生だった頃には、この店に出かけてよく地元へのお土産にもした。近くになにがお祀りされていたのか、花園神社という風流な名前の神社があったのを覚えている。
懐かしい音楽と同様に、40年もたつ時の流れを一気に飛び越えて、あの若き頃に立ち返る思いだった。
今度東京に行く時には、新宿花園を探訪しようかな。

新年早々、一仕事はタイムスリップ。

  • 2008/01/03(木) 08:11:50

年始めのご挨拶に家内の実家に出かけました。
ご馳走を戴いて、親戚とも歓談して愉しく過ごした後、家内の親父さんから頼み事を依頼されました。
仕事はふたつ・・・
一つは古い写真が出てきたので、きれいにならないかということ。もう一つはこれも古いカメラが出てきたので、使えるようにしたいということ。

出てきた写真は愛妻家である親父さんらしく、家内の母のセピア色になった若い頃の写真でした。もともと沖縄人(ウチナンチュー)であるため、特徴のある眼や顔立ちが美しい。
これらの写真数枚は昭和16年前後のもので、戦火をくぐり抜けてきただけに、褪色と折り皺が酷く、中には剥落している部分もある。
懐かしいといえば懐かしいセピア色で、浪漫は感じられる。

帰ってくるとそれらをスキャナーにかけ、一枚一枚丁寧に補修を試みた。根気よく時間をかけて、出来る限り元のきれいな写真に近づけるように頑張りました。
所々に折り皺だけを残して、ゴミのような反転や、剥落部分は修正して印刷してみると、全く新品同様というわけではないが、かなりのレベルでうまくいった。元の写真と比較すればそれは見違えるよう・・・

カメラの方は、古いといっても60年代のコニカオート、何とかなると思ったのが間違いだった。当時よく売れた大衆カメラだが、革ケースにはいっていて、使った形跡がないほどに美麗品。いろいろさわっているとどうもまだフィルムが入っているようだ。無闇に開けられないし、巻き戻しレバーも堅くて動かない。家に戻って夜の作業ということになった。
昔のように暗箱がないので、夜暗くなったら厚手のセーターを出してきて、にわかの暗箱代わりでフィルムを取り出す。フィルムが出てくると、他のところに以上はなさそうなので電池のチェック。案の定、電池は今は手に入らない“MR9(HD)”、現在作られていない水銀電池。代用品をネットで探すが、“LR9(HD)=VARTA(バルタ)社製の「p625u」 (ヨドバシカメラにて販売)”なら手に入るらしい。
とてもこの田舎では手に入らないし、電池のアダプターの自作まで考えたがの面倒なのでカメラは諦めよう。でかいし、重いし、不格好だし、カメラとしての性能もそこそこなので、無理して使うこともあるまいと勝手判断した。この程度以上のカメラは我が家にはゴロゴロしている。

でもこの残されたフィルムは何が写っているのでしょう?
そのことの方が気になる。現像しても何も出てこない気もするが・・・・・

俳句を上手に散らして、捕物帳とは名人芸ものです。

  • 2008/01/02(水) 08:04:59

<とりあえず一句、「シャレた絵を 粋なデザイン カバーにし」>
本sasazawaissa

笹沢左保著『一茶人情捕物帳』、副題が「涙の弥次郎兵衛」。
今年最初に読み終えた本が、この本だった。リストを調べると一度は読んではいたが、内容は例によって余り覚えていなかった。再読したり、或いはこの様に何か記録を残すと、案外記憶に残るようだ。

笹沢左保さんほどの作家ともなれば、やはり名人芸と言える仕上がりだなと感心した。
この本は俳人小林一茶の若い頃を、そしてその見事な灰色の頭脳を使った推理力を上手に捕物帳となさっている。
推理小説で言うところの“アームチェア‐ディテクティブ【armchair detective】”でありまして、現場にも行くことがあるが、ほとんどは一茶の頭の冴えで解決されてしまう。しかもこの人物が涙もろい人情かとして書かれてあるため、副題は「涙の弥次郎兵衛」となっている。

名人芸の名人芸たる所以は沢山あるのだが、一番の魅力は短い捕物帳の短編の一編一遍に一茶自身の俳句が上手に配されていて、またそれが見事に生きている。
もしかすると俳句を眺めつつ、或いは口に読みながら、そこから物語をふくらませてお作りになられたのではないでしょうか。

<またもや駄句を「裏表紙 謎は季節と 解きにけり」>
本sasazawaissa02

目次の各章の小題と、裏表紙の俳句の並び数とその内容が符合する。

第一話 女は触れ歩く
第二話 蛍が見ていた
第三話 美しき娘の肌
第四話 名月に鬼の面
第五話 秋の夜の盗賊
第六話 黙って通る人
第七話 怒りの年の市


裏表紙に書かれた俳句は、各章の最後にも書かれている。

隙人(ひまじん)や蚊がでたでたと触れ歩く
狐(みなしご)の我は光らぬ蛍かな
蚤の迹(あと)それもわかきはうつくしき
名月を取ってくれろと泣く子哉
秋の夜や旅の男の針仕事
夜の雪だまって通る人もあり
年の市何しに出たと人のいふ


巧みに俳句を散らした上に、実に情緒深く季節が書かれている。遅き春、初夏から夏を経て、年の市まで季語を大切にする俳句の季節感を上手に、小説の中で語る。
これも名人芸でしょう。
しかもそれらはあたかも江戸の町にトリップさせられた、読者が感じることの出来る優しくも繊細な日本人の季節感なのです。

それから深川という江戸の外れが中心のお話でありまして、時代小説としても、庶民の暮らしにも、事件の起こりそうな大河端という点でも地の利がいい。
昨年見てきた深川だからいうのではありませんが、この地はとても時代小説の似合うところでもあります。本所、深川いろんな町名が馴染み深い。

江戸庶民の暮らし、歳時記、季節の移り変わりが見事に活写されている。
寺子屋へ通う時の束脩から、風呂屋の銭湯賃、節句の細々、たばこや喫煙具の話、数え上げたらきりないほどの蘊蓄話は、さりげなく江戸情緒、雰囲気を盛り上げてくださることと、小説がふくらんでくる要因でした。
でもそのことがちょっとさわってくるのは、第五話「秋の夜の盗賊」。
ダイイング・メッセージとして使われる“くろふ”という言葉が、知っている人にはすぐとけてしまいます。厳密な推理小説ではないのでご愛敬かも・・・・

久々に覚え書きを・・・
たばこ、キセル、羅宇・・・外来語は外来語である。
たばこ---ポルトガル語。多婆古、丹波粉→煙草。
キセル---カンボジア語のパイプという意味「クシエル」から転じた。喜世留、希施婁→煙管。
羅宇---ラオ(ラオス)のこと、ラオス産の黒い斑(まだら)入りの竹。老楇(らお)→羅宇(らう)


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