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ちょっとまたこれは、嬉しいニュース。

  • 2008/04/30(水) 09:16:09

文字色<「特攻野郎Aチーム」のメンバー>
TVtoko01.jpg

なんと懐かしいではありませんか。
マイコミジャーナルのエンタテインメント・ニュースの中に、

『あのスミス大佐が蘇る! ドラマ『特攻野郎Aチーム』完全版が日本初放送』


1980年代に日米で大人気を博したアクション・ドラマ『特攻野郎Aチーム』(原題/The A-Team)。2009年6月には全米で劇場版の公開が予定されるなど、その動向が気になるところだが、同作の完全版がCSのドラマ専門チャンネル「スーパー!ドラマTV」にて6月10日より放送されることになった。


私はこの主人公の“ジョージ・ペパード”って人が好きですねえ。
六十年代から七十年代の良きアメリカを代表するような美男俳優でしたね。
強く逞しいだけの西部劇スターが輩出する中に、洗練されたスマートな米国人としてイメージづけられた俳優さんでした。

<特攻野郎Aチームの“スミス大佐”役のジョージ・ペパードさん>
TVtoko02.jpg

ドラマ『特攻野郎Aチーム』では、もうすでに壮年期でいらっしゃったので、美しいとはちょっと言い難いイメージも違っているかも知れませんが、1961年のかの名画『ティファニーで朝食を』なんかを思い出すと、思わずカッコいいとうなってしまいます。
青春期に仕入れた我が文明開化の時期には、これらのアメリカ人に憧れたものです。

<こんな若い頃の“ジョージ・ペパード”さん>
TVtoko03.jpg

やっぱり当時の若者でアメリカ文化に馴染んだ人には、懐かしい憧れの俳優さんだった気がします。中身があろうがなかろうが、格好良くスマートな美貌容貌と、おしゃれなダンディさにたまりませんでしたね。
今も昔も風俗の好みそのものは違っていても、憧れること自体は本質的に変わっていませんね。

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気になった英単語、忘れてしまわないうちに復習を。

  • 2008/04/29(火) 07:30:55

FORMULA 1 GRAN PREMIO DE ESPANA TELEFONICA 2008
2008 F1世界選手権 第4戦スペインGP(4月25~27日)が終わった現在での成績ですが、F1の公式サイトでの記事を見ていて思い出しましたよ。

Pos Driver Nationality Team Points
01  Kimi Räikkönen Finnish Ferrari  29
02  Lewis Hamilton British McLaren-Mercedes  20
03  Robert Kubica Polish BMW Sauber  19
04  Felipe Massa Brazilian Ferrari  18
05  Nick Heidfeld German BMW Sauber  16
06  Heikki Kovalainen Finnish McLaren-Mercedes   14
07  Jarno Trulli Italian Toyota  9
08  Mark Webber Australian Red Bull-Renault   8
09  Nico Rosberg German Williams-Toyota  7
10  Fernando Alonso Spanish Renault   6
11  Kazuki Nakajima Japanese Williams-Toyota   5


“Finnish ”、“Polish”どちらも忘れていた国名です。「フィンランド」に「ポーランド」で、終わりの意味の“finish”、磨く意味の“polish”でないことを・・・。

国名に接尾語をつけて「・・・人」「・・・の」という表現を中学生あたりで習った。
覚えているのは案外数が少ない。

-an・・・American Brazilian Mexican Italian European(ヨーロッパ人)Christian(キリスト教徒)
-ish・・・British Spanish Polish Irish Scottish Turkish
-ese ・・・Japanese Chinese Taiwanese


Swede(スウェーデン人) French(フランス人) Thai(タイ人)なんて言うのは、ちょっと特別なのかも知れない。
ところで、モロッコ人はどうであったのかな?Moroccanだろうね。

01  Kimi Räikkönen  29
02  Lewis Hamilton  20
03  Robert Kubica  19
04  Felipe Massa  18
05  Nick Heidfeld  16
06  Heikki Kovalainen  14
07  Jarno Trulli  9
08  Mark Webber  8
09  Nico Rosberg  7
10  Fernando Alonso  6
11  Kazuki Nakajima  5


で、肝心の中島Jr.だが、十一位って凄いねえ。いつも良い所走ってますし、リタイヤもないのでは・・・。

弱きを助け強きを挫く!

  • 2008/04/28(月) 08:18:19

<年老いた母を薄汚い荒れ寺へ・・・・、表紙からもうすでに物語は始まっている>
本sawadasekentsuji

澤田ふじ子著、『世間の辻』。「公事宿事件書留帳」シリーズの14巻目。
今ではほとんど死語の「弱きを助け強きを挫く!」というのがこのシリーズのテーマであります。そしてまた「罪を憎んで、人を憎ます」という言葉も生きているこの小説に世界には・・・・

ほとけの顔
世間の辻
親子絆騙世噺(おやこのきずなだましのよばなし)
因果の井戸
町式目九条
師走の客


以上の六編は納められている。この公事宿シリーズはすでに15巻ほど刊行されている。単純計算では90話が、このシリーズで語られたことになります。
一つ一つ覚えているわけではないが、どれをとっても優しい心根で語られたものです。事件という殺伐と感じられる事柄を、案配よく、さりげなくそして痛快に片づけていく。作者の思いやりある心や、修練された手腕がないと書けない小説ですね。

作家さんがすべて善人であるはずもありませんが、登場人物に託された人物像から類推すれば自ずと、その後ろの繰り手が見えてきます。多分きっといい方なのでしょう。
小説のテーマはいつも現代にもありそうな身近なことであります。新聞ダネにもなったであろう事柄を、上手の時代小説に置き換えて痛烈に批判をしたり、同情したりと心豊かに気配りをされながら、時代小説に仕立て直しされています。
読み手としても、その配慮をよく汲み取りながら、感じ入っています。

久々に覚え書き
「世の中は駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」
一般に身分の上下をたとえる話として使われるが、澤田ふじ子さんはこう解釈している。

人間の社会には、それぞれ分(ぶん)に応じた役割があり、一見、別々だが、誰にもその存在価値があるといっているのである。
それをいまでは多くの人々が、身分の貴賤をのべているのだと解している。

久々に宮崎の港へ行った。

  • 2008/04/27(日) 07:32:15

<ちょっと面白い絵柄のお湯のみを見つけて>
雑yunomi

宮崎港へ行った。
宮崎港には水産会館という県の出先機関がある。ここにはレストランと社員食堂とがあって、ちょっと有名らしい。宮崎港で上がる新鮮な魚介類を安く美味しく食べられるというふれこみでありました。
社員食堂は地元の会社関係者には、とても名が通っているらしくちょっとした行列だったので遠慮した。

隣り合わせにあった魚乃里「ぎょれん丸」という名のレストランは、二階にあって港を見ながらとても広くてのびのびしたレストランでありました。
その時出されたお茶のお湯のみがこれです。よくよく絵柄を読んでいくと面白い。
「金八先生」にかけて、魚の“かんぱち”を「間八先生」、冠をかぶった王様が「大将」ではなく「鯛将」ってのも、とても愉快です。
見晴らしの良い港の風景を楽しみながらの食事は最高です。

<水産高校の演習船です>
雑kaiyou

宮崎県立水産高校の実習船です。
大きく宮崎をPRするかのように、「太陽と緑の国・みやざき」の文字が入っていました。
写真は船の一部ですので、全体はもう少し大きいのですが、これで遠洋航海もするのですから学生さんには凄い経験と冒険でしょうね。
後ろの甲板には大型のジェットスキーなども積んでありましたね。
学生さん、是非気をつけて頑張って下さいと言いたい気がしました。

ちょっと釣り合わない話題を二つ。

  • 2008/04/26(土) 21:55:27

<番号がちょっとだけ違う車が止まっていた>
車DSC00178a

温泉に行った帰りに、駐車場でこんな車を二台見た。
「4141」と「4040」という比較的近い番号でした。
大体上下同じ番号というのもそれほど多いわけではないし、それが「40」と「41」のように凄く似通った番号で隣り合わせに並ぶ偶然はそれほどには見かけられない。

<可愛いペコちゃんのお人形>
雑pekochan

一時不二家さんのお店がお休みをしていた。
久々に再開されたおりに、出かけていってケーキを買った。
何か家内が紙に書き込んでいたのを見たには見たが、何をしていたかは忘れてしまっていた。
突然段ボールが送ってきた。
明らかに中国製と思われる劣悪な段ボールであったので、ちょっと敬遠はしたのだが、中身は“ペコちゃん”のお人形でした。
買い物に行った際に書いた応募はがきが当たったのだそうだ。
たしかに“ペコちゃん”のお人形自体はとても可愛い。
でも今話題になっている中国製品で、余りにも塗料がけばけばしく、しかもよくよく見ると粗悪だ。備えつけられた麦わら帽子もサイズが合わずに、やっと頭にのっているだけ・・・・。

いただいた物だけにケチをつけるのは悪いが、もう少し日本のメーカーは自社のブランドやトレードマークといったアイデンティティーに気遣うべきだと感じる。

ストーリーの基本は、ほとんど使い古されたものではあるけれど・・・。

  • 2008/04/25(金) 07:40:41

<ちょっと甘めのコメディ仕立てがいいねえ>
映画province

ラッセル・クロウ主演の『プロヴァンスの贈りもの』
お話は語り尽くされて、映画の中ではおおよそ定型型の十指にはいるパターンであります。
遠い親戚から突然に死を知らされて、そして思いもかけぬ遺産を相続することになる。
そして現代的なお金の亡者となった主人公は、即座にそれらを売却処分にかかろうとする。
だがしかし・・・・、暖かい何かだとか、優しい人間関係だとか、古い思い出だとか、いろいろな要因でこの男は人間性を取り戻していく。

こんな古典的なテーマを取り上げても、面白くしていくためには、意外性のある主人公が必要でありますね。その為に選ばれたかのようなラッセル・クロウさんがいいですね。
クールなトレーダーというやり手の設定でありながら、どこか優しさと子供っぽさを残しているところは素敵でした。
子供時代を演じているフレディ・ハイモアさんは、ほんとにあらゆる映画でよく見る子供俳優でちょっぴり小憎たらしくて可愛い。
本の最初にしか顔を出さない遺産を残してくれる伯父さんに、名俳優アルバート・フィニーさんが出てくるが台詞の一つ一つがとても明確で、頑固さを感じる大人の英国人。彼の昔の奥様アヌーク・エーメさんて、好きな女優さんの一人だったなあと感慨深い。

監督はリドリー・スコット。どうしてこんな意外な映画をと感じていたが、見終わるとさすがだなあと思ってしまう。
この映画に主人公ラッセル・クロウさんが主演された『グラディエーター』ヤ、『ブレードランナー』あたりとは、全く趣きを異にする。
キングダム・オブ・ヘブン(2005)、ブラックホーク・ダウン(2001)、ハンニバル(2001)、G.I.ジェーン(1997)、そしてテルマ&ルイーズ(1991)など名作が多い中、ほとんど中身が違っているという偉大な作家でもある。
日本でお馴染み(古くなってお馴染みではないか?)のブラック・レイン(1989)は、もう懐かしい作品となってしまった。

公徳心や宗教心、倫理観を高める読み物。・・・・その③

  • 2008/04/24(木) 20:21:30

澤田ふじ子著、『にたり地蔵』にこだわっている。
というのも、改めて読書リストを整理してみたら大きな勘違いをしていた。この「公事宿事件書留帳」シリーズの前半の三冊を読んでいないような気がしていたが、随分前にこの三冊は“廣済堂出版”から出ているのを読んでいた。現在は“幻冬舎”の扱いになっていて、自分のリストではシリーズから漏れていた。

澤田ふじ子さんは多作の作家さんで、六十冊近くを読んでいて、作品群はもっと多くあるはずだ。シリーズ物だけでも大雑把に調べてみると、四十巻以上を書いておられる。

公事宿事件書留帳 15巻
祇園社神灯事件簿 5巻
足引き寺閻魔帳 8巻
禁裏御付武士事件簿 3巻
真贋控帳 3巻
高瀬川女船歌 4巻
土御門家・陰陽事件簿 4巻
酒解神社・神灯日記 1巻
京都市井図絵 2巻


そこでまた『にたり地蔵』に戻るわけですが、この短編の最後の作品はたまらない。その表題が“最後の銭”というのも愉快です。
長い時間空き地になっていた土地から、銭だけで九百四十八両二朱五文という大金が、甕に入れられて埋められているのが見つかった。
これだけの大金故に、現在の地主を始め、沢山の人々が自分の金だと届け出てくる。いろいろ調べる結果、出てきた銭の発行された時期から類推して、元その地で質屋を営んでいた男のものと考えられる。ところが肝心のその男は自分で名乗り出てこない。京都中の噂になっているほどなのに、持ち主と思われる男は沈黙をしている。
しかし、その男が見つかり、奉行所の手のものが吟味をすることになる。
その時のその男の言い分は、実に痛快無比、正義の心というのはこうあるべきであろうが、書いてる作家さんも恥ずかしくなるほどの、この男の信念は見事であります。

「わしがなんで、町奉行所に届け出なあかんのどす。確かにわしの家はあの場所で、何代も質屋を営んでました。わしは父親の民右衛門が急死したあと、半年ほどで主として質屋をやってました。けどわしが商いをつづけたんは、質入れされた品物を、期限がきて請け出しにきはるお人を、待ってたからだけどすわいな。(中略)こんな商いは嫌やなあと、ずっと思うてました。
銭を借りにきはる貧しいお人を見て、思うたのではありまへんえ。わずかな銭でもなかなか貸さへん守銭奴のような親父が嫌やったんどす。」


というこの男は七十にもなるのに、芝居小屋で下足番をしているのです。何もよくがなく、来下さるお客様の下足を綺麗に拭いて差し上げるサービスまでされている立派な人物です。

「世の中に銭ほど嫌なものはありまへんけど、いざというとき、銭ほどありがたいもんもありまへん。ほんまに銭とは因果な物どすわ。そんな家に商いから考えたんは、銭みたいな物に関わらんと、暮らしを立てていけへんやろかと、いうことばかりどした。
人間には人に見せてはあかん顔が三つありますがな。一つは厠に入って蹲っている顔。二つ目は女子はんと睦み合うている顔。三つ目は銭を数えている顔やといいますわなあ。あのころわしは、どんな貧乏でもええ、おだやかな気持ちでくらしたいなあ、ひたすらそれを思うてました。
あの土地から出てきた埋蔵金、わしの父親の民右衛門が、守銭奴の顔になって、せっせと詰めこんだ銭やということぐらい、わしにはわかってます。そやけどそんな銭、わが物としてなんになりますのや。銭は魔物。持ち馴れん者がもったら、怪我をしてしまいます。銭を持つにはそれなりの器量が必要どすわ。好んで芝居小屋の下足番になったわしに、そんな器量なんかありますかいな」

こんな高い見識を持つということは、誰にでも出来ませんよね。

公徳心や宗教心、倫理観を高める読み物。・・・・その②

  • 2008/04/23(水) 07:27:26

澤田ふじ子著、『にたり地蔵』。
この思わせぶりな著書名『にたり地蔵』については、ただ地蔵さんがにたりと笑って、すたすたと歩み去ったという話から付いているだけで、自分で考えていた意味合いとは違った。
それでも石で作られた重い地蔵が、自分で歩いていくという発想はミステリー?っぽくて面白いと思ったが、そこも肩すかしで全然違った。
たしかにこの小説には謎解きは不要だった。


人間が犯罪を犯す元として、この本の中には“色と欲、そして妬む気持ち”と解かれています。
弘法大師様の言葉を例に取られ箇所が数カ所あり、

生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く、
死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)い


これについての後に続く会話は、

「これは東寺をお造りやした弘法大師さまが、五十七歳のときのご著書『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』の中に、記さはったお言葉どす。要するに人間は、何遍この世に生まれ変わってきてもわからんもんやと、嘆いてはりますのやわいな」
「へえっ、弘法大師さまほど知恵のあるお人が、そないなことをいうてはりますのかいな。偉いお坊さまが、そんなんではかないまへんなあ。下々の者をあっさり見捨ててしまわんと、ちゃんとしたことをいうてもらわな、困りますがな」


と庶民感覚での宗教論がぶたれている。

山高故不貴 以有樹為貴
(やまたかきゆえにとうとからず きあるをもってとうとしとなす)
人肥故不貴 以有樹為貴
(ひとこえたるゆえにとうとからず ちあるをもってとうとしとなす)


これらの弘法大師さまのお言葉が小説の中の会話の一説にちりばめられ、じつに自然に語られている事が美しい。京の町衆が、信仰云々ではなく、人としての心持ちをさりげなく語っている。
これらは名人落語家などが、枕にさりげなく話した言葉に案外意義深い意味合いが含まれているようなもので、謂わば書き物の上でも“名人芸”と言えるのではなかろうかねえ。

ただちょっと江戸ものの時代小説と違う異質な感じがするのは、奉行所の“同心”、“与力”の身分差、階級差に隔たりを余り感じないことです。

公徳心や宗教心、倫理観を高める読み物。

  • 2008/04/22(火) 22:26:50

<蓬田やすひろさんの表紙絵には規矩をそなえた整然さが感じられる>
本sawadanitari

澤田ふじ子著『にたり地蔵』、副題は公事宿事件書留帳。
本の帯には、NHK総合「金曜時代劇」ドラマ化決定とあります。
自分が本を読んで感じたイメージと、テレビでのイメージが違うといけないのでこれを見ることはないだろう。

公事宿<訴訟人専用旅館>の居候・田村菊太郎の活躍を描く人気時代小説シリーズ最新刊!
悪い奴だけが地蔵の笑みに怯える。


公事宿シリーズは、最新作『比丘尼茶碗』が十二巻目で、長いシリーズものとしてかなり著名です。この本は七巻目になっていますが、私自身順不同に読んでいますし、おまけに最初の一巻目から三巻目と途中の八巻、十一巻もまだ読んでいません。
中身は六編の短編で、どれを読んでも作家さんの公徳心の高さに感心させられます。

旦那の凶状
にたり地蔵
おばばの茶碗
ふるやのもり
もどれぬ橋
最期の銭


ところで汚いものを“ばばっちい”と言うことがあるが、辞書には下記の解説があります。

(形)
〔補説〕 幼児語
(「ばば(糞)しい」の転じたもの)汚い。ばっちい。


この本の中には、別の解釈で面白い会話があります。

「あのお梅はんやったら、舅と姑がそろって生きてはったかて、舅を爺むさいと叱り、姑を婆っちいと咎め、やがてはお二人とも、遠慮して暮らさなならんようになってましたやろ」
(途中略)
「するとなんどすか、男が年を取ったら爺むさい、女子はんやったら、婆っちいというんどすか」
(途中行略)
「へえっ、あんたそんなことも知らんかったん。それは驚いたわ。その年になるまで、二つの使い分けもせんと、きてしまったわけや」


これは意地悪な嫁が姑をいびる、通常一般とは違ったシチュエーションでの話中で語られている会話です。
この章もとても教訓的で、作家の公徳心と倫理観の高さが素晴らしさを感じさせる物語です。

久々に英語力がものを言った・・・かなあ?

  • 2008/04/21(月) 20:33:56

外人さんに道を尋ねられました。
といっても、私は若い連中から呼びに来られたのですが・・・。
目的の場所を伝えられない人たちに変わって、お教えしたのですが、肝心のその場所を私がよく知らない。
それでもその外人さんが地図を携えていたので、それを見ながら丁寧にお教えした。
久々にいい気分であった事でした。
周りの連中は感心しきりであったけれど、ちょっとこの人達はお勉強不足かも知れない。決して自慢で言うのではないが、“まっすぐ行く”、“右へ曲がる”、“左側”、“交差点”、あるいは“ブロック(市街地の一区域)”など中学生程度の英語で習ったはずの単語である。
あとでちょっと解説をすると、「ああ、そうだった」と納得する簡単な事ばかりだ。

緊張する余り、また相手が外人さんという思いだけで若干気持ちが亢進してしまって、十分な力が出せない。特に普段外人さんが少ない田舎の地域ではありがちです。
田舎にいる普通の外人さんて、だいたいが日本語を喋るので、頭から英語だけで来る人に弱い。
私の経験では、アメリカ人はよくわからないにしても、相手の国の言葉を覚えようとする姿勢が強いし、また平気で間違っていても使ってくる。
日本人のように、間違ったらどうしようとか、恥だとかは余り思わないようで、実に堂々としていて好ましい。
本質的には友好的で外向的な民族でありますね。

そのいい例が私自身にも言える。
自分の背中側に日本人がいる時には緊張して上手く話せず、会話もスムーズに自然でなかったけれど、誰もいないと自信が出て平気だったようです。
でも挨拶をする程度の気軽なやりとりをどんどんするようになることが大事だな。

ああ、そうそう、そういえば、その外人さんはゼンリンの地図の如きものの英語版をコピーして持っていた。私も多少は興奮していたのか、後で考えると、よくもこんな田舎の町の地図の英語版があったものだ。
かなり縮尺も大きくて、良く書かれていたなあ。

たまにはお遊びを・・・・。

  • 2008/04/20(日) 09:23:10

いつものぞきに行かせていただいている『どこからともなくやって来た人の話』というブログサイトに、面白い写真が載っていました。
これまた『幕末古写真ジェネレーター』という名のHPへの紹介です。

この中には面白い工夫がありまして、写真なら何でも“幕末風の古写真”にしてくれます。
私も試してみました。

<“幕末風古写真”にしたインディアナジョーンズの一コマ>
映画indiana002

<こちらはその元写真>
映画indiana001

いやあ、良くできてるでしょう。
瞬時に変って出来るところがいいではありませんか。

<最新のポスターです>
映画indiana003

<いつ作られたかもわからないような感じのポスター>
映画indiana004

う~ん、感じが出ていて愉しい。
それもそうだが、この映画の雰囲気がとてもマッチしている。
5月21日公開だそうだから、みにいかなくては・・・・・・・。楽しみです。

痛快無比、しかも健全なり。・・・・その②

  • 2008/04/19(土) 08:08:34

澤田ふじ子著『家宅の坂』について、ちょっと下記足らないこと。
澤田ふじ子さんの本は、あとがきがいつも面白いと感じているので、ここもしっかり読ませてもらった。
時代小説に何ら関係ないような記述ではあるが、時代に不変の人間の本質問題を語っておられます。
この本の一番の問題点も、リストラクチャーに対する弱い人間の持つ底力について、よくよく考えられている。リストラクチャーはする人間も、される人間も大変なのでしょうが、往々にしてする側の企業、或いは藩の重役も問題が多いのです。
自分たちの賃金或いは知行には減額はなく、本当に根本的、徹底した本質的改善のなされぬまま、人員的首切りがなされているのです。

また不可解な人間の特性だが、志操堅固な人物でも、地位や名誉などを得ると、これがころっと悪く変質いてしまうのがふしぎだ。


と書かれていて批判的な大事なご意見が書かれている。

日本人の最大多数は、高度成長期やバブルの最中でも、決して中流ではなかった。
こうした多数の人々が中流意識を持ったときから、日本人は生きる力を失って脆弱になり、危機に対する備えを忘れてしまったと、わたしは思っている。


そして締めくくりに、

国家、企業、商店、さらには家庭でも、これが駄目ならつぎはこれ、またそれが駄目なら次の備えはこうだという具合に、三段階ぐらいの対応策を常に持ちたいものだ。
業績が悪化したら即リストラでは、誰が見てもお粗末にすぎよう。



誰が読んでも当たり前なのだが、この当たり前の言葉の数々が、時代小説本のあとがきに書かれていることが素晴らしい。

痛快無比、しかも健全なり。

  • 2008/04/18(金) 08:54:56

<重々しい蓮の花の表紙絵、その割に内容は明るい>
本sawadakataku

澤田ふじ子著、『家宅の坂』

突如、言い渡された永御暇(リストラ)。
絶望、憎悪、嫉妬・・・。

京を舞台に下級藩士の生きざまを情感豊かに描いた傑作長篇


まさに傑作長篇でありました。
四百頁を超す大作で、創作に二年半と書かれています。
“永御暇”と書いて、“ながのおいとま”と呼びますが、江戸時代のリストラクチャーです。
藩政が苦しくなると、まずは藩士の知行の借り上げという名目での減給があります。それでも酷い財政難には藩士の首切りが行われます。
その前には、当然農民への苛斂誅求があるのでしょうけれど・・・・。

武士というものは、武家社会が安定化すると、段々に数が必要にならなくなります。藩家を守るための存在ではありますが、争いもなくなり、警護などの謂わば形骸的なものになる中期以降は、余り数を保つことがないわけです。
そうすると役に立たない人は“永御暇”ということになるのでしょうが、これが現代と同じで、役に立つ人、立たない人ではなく、また能力にも関係なく、人脈、家柄、人間関係が左右するのです。
武士としての本来の剣の腕前も、査定の対象にはなりません。

この物語はそうした割を食った“永御暇”にあう主人公が出会う、いろいろな出来事が中心です。
それらがすべて主人公や、彼をとりまく母親、嫁、友人、その他の沢山の人々の暖かい人情で片付けられていく痛快なお話であります。
誰もが暖かく、沢山の人々の知恵が生きてくるお話です。

いつも澤田ふじ子さんの書き物には、いろいろな知識の披瀝があるのだが、定説になっているような言葉にもその本質的な意味合いが違うことが語られています。

江戸っ子の気質を示す、“宵越しの金は持たない”との言葉があるが、これなど安易に消費生活をあおる目的で、商人たちから言い出されたものであった。
また京の着倒れ・・・の言葉も、もとは日本の呉服所といわれた西陣の織元たちが、消費を大きくうながすためいい出したと、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』は、正確に書いている。

仕方のないこととは言え・・・・。

  • 2008/04/17(木) 21:00:20

遠縁の人を見舞う。かなりのご年齢でしたので、老人ばかりの病院に入院されている。
行ってみて驚いたのは、周りのほとんどの方々が車いすで動かれていること。
想像もしていなかったのだが、たまたまお食事が終わったばかりの時間帯で、数十台の車いすが固まっている風景は異様でありました。
二階、三階へ戻られるために、エレベーターの前に固まったお年寄りの車いす群は、誘導されて順番を待つ間、適切ではない表現ですが不気味に感じられました。

見舞いの相手様は二階でありましたので、元気な我が母とともに階段を上がりました。
そしてまた驚いたのは、二階の広い廊下の風景でした。
先ほどエレベーターで送られてきた人々の一部が、この大きな通路にまた群がっているのです。
その一部はわずかながら、自分で通路の真ん中を進み、或いは通路脇に設けられた手すりにしがみつき、それこそ遅遅とした進みをする集団があふれているのです。
さながら大きなカタツムリの行進を見るようでした。
中には途中でお疲れなのか、お休みになる方々もおいででした。

看護師さんがいらっしゃるにはいらっしゃいましたが、なにせ大移動の時間帯には手が足りないのです。
たまたま見舞いの相手様は、その中にはおいでにならず、自分の足で歩かれるほんの数人の中のお一人でありましたので、早々自分の脚でお部屋に帰っておいででした。
残念なことは、かなりの認知症が入っているせいか、お話の半分がわかりませんでした。

でも、元気に自分の足で歩けて、自分のことが出来るようでしたので、この様なところで生活をすることは大変に寂しいことだと感じました。
出来うれば、ご家族が自分の家に連れて帰って、自分の家で看てさし上げるべきでしょう。
ご本人も何度も帰りたいと言っておいででしたし、帰る道道を何度も私に確認をされるのでした。
介護老人ホームとは、体のいい乳母捨て山です。
自分を育てて下さった肉親を、もう少しいたわってさし上げる必要があると思います。

訪問の際に受付で書いた、“見舞い者来館リスト”には、ここ数日間、人が訪れた記述はありませんでした。
近親者の訪問も記載するのかを尋ねると、記載すると言っているから、あまり見舞いにも来ないのかも知れないね。

実に変わったお名前表記ですね。

  • 2008/04/16(水) 06:42:00

<挿し木で簡単に増えていくイチジクの苗木>
雑ichijiku

高さにすればわずか数十センチしかないが、青々した若葉が元気に伸びているイチジク

『無花果』と表記して、イチジクと読ませる。
「無花果」は、花を咲かせずに実をつけるように見えることから付けられた漢語で、これに熟字訓でいちじくという読みを付けている。しかし、実際には外から見えないだけで花嚢の内部に小さな花をつけている。

別表記の「映日果」は中世ペルシア語のアンジールを中国で音写し、意味を表す「果」を補足したもので、日本ではこれを「えいじつか」と読み、転じて「いちじく」と呼ばれるようになったとする説がある一方、果実が一ヶ月で熟すから、または、一日一果実ずつ熟すからという「一熟(いちじゅく)」から転じて「いちじく」と呼ばれるようになったとする説もある。


我が家の親木は、とても一日一果実熟すという程度ではすまず、一本の木からかなりの実が一日に熟してしまう。しかも放っておくと、熟れすぎて変な虫が来る。
一日に沢山収穫して、しかも実のなる期間は短期間であります。

春に実をつけ始め、秋に収穫できる他の果物と違い、一気に始まって一気に終わる。実のなる時期が終わるといっぺんに大きくひろげた葉は落ちてしまう。潔いと言えば、桜のように潔いが、ただ単に棒っきれのような気になってしまうので侘びしい。
小さく残った枝は、ほとんど挿し木に使う。
今では庭の隅に、三十本ほど芽を出したり、若葉が広がったりと、今年は成長が見られる。
アメリカではこの実の乾燥した小さくなったやつをよく売っていた。
木の樹液からでるお乳のような白い液体を見ていると、ゴムの木を連想する。

たまにはのんびり暇つぶし

  • 2008/04/15(火) 20:06:25

<野茂さんのサインはこれだけしかなかった>
雑nomosign

二日ほど前に書いた記事“お帰りなさい、野茂英雄様。”の中で、宮崎県の南部、串間市の酒造会社に野茂さんのお父さんがサインを送って来た話を書いた。
一応野茂さんのファンの一人としては、見に行かなくてはと串間までドライブした。
本来別な大事な目的があるのだが、私自身はこちらに惹かれた。
ところが新聞の記事ではサインは沢山あると書かれていたが、行ってみるとこの一枚だけだった。
ほとんどがみんなが持って帰ったらしい。見られなくて残念だった。

<庭に咲いた源平桃の実>
雑genpeimomo

「源氏と平氏が競ったように、赤と白、中間の絞りの3色が競うように咲き乱れる」と言われて買った源平桃の苗木。愛らしい花を咲かせた後に、可愛らしい実を付けました。
まだ苗木に近い大きさなので、この実は大木は育たないだろう。
でも産毛のような毛が生えて、先端がとんがり気味で可愛い。

<十年ぶりで実を付けた梅>
雑umenomi

こちらは梅の実。余り実を付けないのでちょっとこぢんまりと剪定した梅の木。
今年は鶯なども来て下さって、受粉がうまくいったのか実がなりました。
数はまだ少ないですけれど、うまくいけば梅干しに変身するかも・・・・。

ええ加減、老人臭い話だが、狭い庭をうろうろしていると、いろんな発見がある。
一番嬉しいのは、いちじくの挿し木が二十本近くつがっていること。
これも結構時間が経ってはいるのだけれど、若葉がついてきたには感激です。
そのうちイチジク畑でになるかも。でも収穫が大変なのですよね。

先に未来のない哀しさ。

  • 2008/04/14(月) 07:25:14

<久しく見ていなかった中一弥さんの絵は、柔らかく暖かい>
本saekodure

佐江衆一著『子づれ兵法者』。
内容は、八篇の短編からなる短編集でした。

子づれ兵法者
菖蒲の咲くとき
峠の伊之吉
鼻くじり庄兵衛
猪丸残花剣
女鳶初纏
アイヌ武士
装腰綺譚


ほとんどの作品に共通するのは、書かれてないラストシーン以降の想像できる物語に未来が見えてこないことです。男女の儚い手を携えての道行きも、希望と夢のない明日しか望めない。
状況はそれぞれに違うものの、夢が描けない、先行きが短かったり、或いは悲惨であるとわかっていても、歩き出さなければいけない男女のお話が主になっています。

最期の一遍「装腰綺譚」のみが、かろうじて夢を見ることが出来る終わり方かも知れないが、それでももしかすると、死を招きかねない覚悟のある行動をとらざるを得ない。
それを乗り越えて、なお素晴らしい世界が待っているとは限らない。
女の幸せは何なのだろうかと問い詰めるようなお話であります。

ただ、この作家の佐江衆一さんは本質的に柔らかさがある。優しさに包まれたような、柔らかい文体が心すさむのを防いでくれる。
ちょっとした名人の小説であります。

お元気ですね、お意志も強い気がします。

  • 2008/04/13(日) 09:54:38

2006年10月に、中谷美紀さんのインド旅行記を買った。
これはとても面白かった。
女優という枠を飛び越えたちょっとした力強い女性をイメージするたくましさを感じた。
二巻も三巻も、一気に読んでしまった。

で、ふと思い出してWEBマガジン幻冬舎『インド旅行記』のサイトへ遊びに行った。
何度か最初の頃には来てみたが、本当に久々に訪れた。
何度読んでも面白いところが多い。
ただ本に書かれたものの方が、活字好きには面白いのだが、写真だとか具体的に地図に連動する頁の移動とかは、インターネットならではの愉快さだ。

でも本当にここへ中谷美紀さんはいったのか。
本当にこれは彼女が書いているのか、半信半疑になるほどに全然イメージが違う。
中谷美紀さんというヒトは、本来意志の強い、弱々しくない人間なのだ。

ところで、私たちが小さい頃に習ったインドの地名は、なにゆえこんなに変わったの?
カルカッタ→コルカタ(凝る肩?)
マドラス→チェンナイ
ボンベイ→ムンバイ


紅茶で有名なダージリンハイダラバードなど変わっていない地名もあるのに・・・

地名ではないがパキスタンもバングラデシュ、セイロンもスリランカと名を変えてしまった。

お帰りなさい、野茂英雄様。

  • 2008/04/12(土) 20:43:24

久々にあちらこちらのニュースに野茂英雄様が出てきていらっしゃる。
有り難いことであります。
日本人メジャーリーガーの先駆者とも言うべきお方で、野武士の風貌と無口で節度ある言動がとても大好きであります。奢りというものを微塵も感じさせない謙虚な方だと思います。
古い日本人にはあのような方が多く、また古い私には最高の偉人です。
ドジャースに在籍された昔は追いかけもしましたね、ドジャース球場へ。

これからも数字や、記録は気になさらないで、のんびり大リーグを楽しんでいただきたい。
末永く日本人に、真の日本人を見せつけていただきたい。
軽々しくガッツポーズをしたり、軽率な言動をしたりしない、何処となく沈鬱で大人らしい立派な野球人としてみんなにお手本を示して欲しい。

立派な野球人といえば、

松坂 野茂へのお祝いコメントは「失礼」
4月12日19時2分配信 デイリースポーツ
軽々しく言葉をかけることはできない。レッドソックスの松坂大輔投手(27)が11日、3年ぶりメジャー登板を果たした野茂に対して、「戻ってくる時間がかかったと思いますが、メジャーで投げることは当然だと思っていたので、お祝いのコメントを言うのは失礼にあたる」と慎重に話した。(後略)


この記事はとても素晴らしい。
自分の立場をよくわきまえた、謙虚な節度あるお言葉だと感心しました。
松坂さんは案外大人の人なのかも知れないと思い始めました。

野茂さんといえば、こんな記事が地方紙に載っていました。
<宮日新聞の“歩廊”という記事に載っていた写真>
雑kusima

 ◎…串間市の寿海酒造協業組合(国府光朗理事長)に突然、大リーガー野茂英雄投手のサインと写真が届き、従業員もびっくり=写真。野茂投手の父・静夫さん(68)=大阪市港区=からの贈り物だ。

 ◎…サイン色紙15枚、写真は20枚に上り、近鉄時代から昨年のものまで網羅した“お宝”。知人の紹介で同組合の焼酎に出会い、「まろやかで飲みやすい」と絶賛する静夫さんの、あいさつと激励を兼ねたプレゼントだった。

 ◎…営業部チーフの国府紀光さん(46)は「頼もしい応援団が現れた」と感激。3年ぶりの大リーグでの活躍を期待しながら、「父子でぜひ焼酎を飲んで」と、早くもオフの帰国が待ち遠しそう。


野茂さんのお父さんも愉快な方だ。
近々この串間市へ行かなくてはならない用事があるので、寿海酒造協業組合を探して、出来ればこのサインを見てきたい。

こんなものかなという程度で・・・。

  • 2008/04/11(金) 08:55:03

<とても綺麗な江戸の商家にたたずむ女性の絵姿。堂昌一さんの表紙絵は大好きです>
本takigawabeniyaoran

ちょっと表紙絵を大きく表示してみました。
なにせ大好きな堂昌一さんの絵ですので・・・・
細やかに描かれた商家の看板には、煌びやかな女性が、そして後ろにはこの本の主人公とも思われる“紅屋お乱”が登場している。
紅屋の行灯型広告塔も粋ですし、瓦屋根と板葺きの屋根も細やかに書き分けられていて、本当に僅かな空間に江戸情緒が漂っています。

多岐川恭著『紅屋お乱捕物秘帖』
おしろい小間物の店を営む色っぽい女・紅屋お乱が活躍する捕物帳。
詮索好きがこうじて、捕物にまで首をつっこむお乱がまあまあいい女に描かれている。
ミステリー性の弱いし、推理をするほどのこともない程度に気軽に読める読み物。
登場人物もまあまあの出来であります。
相棒のお勝も魅力的。読んでみればそんなところかな。

とにかく表紙絵の堂昌一さんはとてもお上手で、綺麗です。
一枚くらい彼の本物を手にしたいものです。

私は時折“馬鹿だなあ”と思う事が多い。

  • 2008/04/10(木) 19:54:40

ちょうど二年ほど前になる4月29日に、“凄い人がいたもんだ、『白洲次郎』さんて。”というタイトルでブログを書いています。
その後も、5月1日に、“凄い人がいたもんだ、『白洲次郎』さんて。そのⅡ”、5月21日に、“再び来た『白洲次郎の流儀』の世界”とその時知った白洲次郎さんの魅力について、感激の醒めやらぬまま綴っています。

で、私はその時に読んだ『プリンシプルのない日本』によって、この方を知ることになった。
我がしっかり者の家内は以前から、奥様の正子様や、TVの情報からこの白洲次郎さんについて知識があったため、私が感心して話を向けると得意顔をされたものだった。

それで、このところの数日に書いている伊丹十三さんの『ヨーロッパ退屈日記』の話に戻るのだが、この中に白洲夫妻の話が載っている。
本の35頁目、“晩餐会”というタイトルの項目に、

友人、白洲夫妻、休暇にてスペインへ来訪。ジャギュアをパリから持って来てもらう。多謝。


あるいは、182頁目、イギリス紳士の持つ細身の傘についての一文で、

そうして、そのブリックの傘も、と、わたくしの、白洲春正君はいう、英国人のように細く巻かずに、ばさばさのままついて歩くほうが安全であろう、と。


私はこの大好きな本を中学生の昔、40年以上も前に読んだのです。
その時に伊丹さんの大親友である白洲さんを知っていたわけです。
正確にはもと東宝東和の社長さんであられた白洲春正氏を知っていたわけです。
そこで馬鹿だなあと感じるのは、このお方はかの“白洲次郎さん”のご長男なのですよ。もし私がもう少し勉強熱心であったならば、この時点で、この中学生の時点で偉大なる“白洲次郎さん”を知り得たのです。
つまり40年も無駄な時間をついやしたのです。
無論知らなければ、何か損をする訳ではないけれど、でも後で考えると勿体ないな。

こんな馬鹿なことを考える事から、いつまでも私は『小人(しょうじん)』であるわけですが・・・

それにしても伊丹十三さんの『ヨーロッパ退屈日記』は、絶版にもならず、売られていることが凄い。
初版はポケット版で、文藝春秋から刊行され、現在は新潮文庫から出ておるみたいです。

やっぱりチャックは凄いという、伊丹一三さんの本

  • 2008/04/09(水) 19:36:40

<裏表紙にはくわえ煙草の写真に哀愁を漂わす伊丹一三氏>
本itami02

昨日のチャールトン・ヘストンさんの訃報に接した時、一番に思いついたのが、この本伊丹一三著『ヨーロッパ退屈日記』でした。
昨日にページに書かれた表紙は、1969年当時ほとんどデザイナーでもあられた伊丹一三氏が書かれたイラストです。ブリックの蝙蝠傘、ダンヒルのライター、ペッカリーの革手袋、ペタンクの球・・・全て素晴らしい出来でありまして今でも感心しています。
裏表紙には、彼自身がくわえ煙草でアンニュイな風貌で写っています。

この本を読んでニヤッと笑ったら,あなたは本格派で,しかもちょっと変なヒトです


この文の区切りは句点ではなく、カンマなのです。

この本は伊丹一三さんであった頃のものですので,伊丹一三という名前で通します。

で、チャールトン・ヘストンさんのお話ですが、この本の中でチャックという名前でお仲間から呼ばれていたようで、伊丹さんもチャックと書いています。
『北京の五十五日』という大作映画のセットで顔を合わせたお二人は、とても友好的にお付き合いされ、いろんなエピソードをここの披瀝されています。
その中でとても印象的な事柄として書かれた“ロンドンの乗馬靴”を要約すると、とてもチャールトン・ヘストンさんの素晴らしさが伺えます。本来、要約など出来にくい、いやむしろしてはいけないことだとは思うのですが,長い文ので・・・・お許しを。

チャールトン・ヘストンさんがロンドンの町、ボンド・ストリート辺りを散歩しておりました。質の良さ、形の格調の高さ、由緒正しさという点からも、この付近のお店は最高級なのだそうです。
彼はふと目についた乗馬靴が飾られたお店を見つけた。飾り窓の中には、馬の胴体の模型が一つ、しかもちゃんと鞍も鐙もつけて芝生の中に据えてある。その横に、
とても素晴らしい乗馬靴が並んでおいてある。

(ここで英国人店員の慇懃なる対応が事細かに書いてあります。)
英国人的なお客様に対する挨拶の仕方であるとか、乗馬靴を買おうとするチャックへの質問等が面白い。
「乗馬靴を注文したいと思うのだが。」
「乗馬靴をご注文になりたい、なるほど、そして、乗馬靴は一体何にお使いになりますのでしょうか。」
「何に使うって、つまり、まあ、馬に乗る時に履こうかと思っているわけだが。」
「なるほど、それは大変結構だと存じます。ところで、馬と申しますと、どんな種類の馬にお乗りになるご予定でいらっしゃいますか。」
「それは、まあ、商売柄、いろんな馬に乗ることになると思うが。」
「いろいろな馬でございますね。なるほど、なるほど。」
と永遠に質問が続いた上に、やっと寸法をとって貰う事が出来、しかも脚のレントゲンまでとられる始末であった。

(ここでチャックのその時に話を思い出して応えている)
「いや、その時は冷や汗をかいたよ。なにしろ、ロンドンで乗馬靴を買うというのは、ぼくの若いころころからの夢だったものでちょっとあがっていたのかもしれない。昔、ハリウッドで、西部劇の端役なんかやって貧乏暮らししている頃から、いつかロンドンで乗馬靴を買おうって、よく女房と話しあったもんだ。」

その後長いこと待って,半年もたった頃に乗馬靴が送られてきた。
中に入っている木型がどうしても抜けない。随分工夫したがいっこうに外れず、今でもそのままにして保存がしてあるという。

「多分、あれは乗馬靴ではなくて、木型を保存するための革ケースだったかも知れんね」

最期に・・・・
そこで我々は顔を見あわせて、チャックはいい男だ、背広を着ると全く似合わないが、あんなにいいおとこはいない、と口々にいった。


私はこの話を中学生の時代に読んだわけで、映画の好きな多感な少年は、そのままチャールトン・ヘストンさんの大ファンの一人となったわけです。
でも要約といった割には、丸写しの部分もあって下手ですね。
この本は“会話体表記文章”の名人であられた伊丹一三さんの見事な会話文が生かされています。

またもやハリウッドの名優の訃報をきいた。

  • 2008/04/08(火) 07:29:40

<代表作品ベンハーでのヘストンさん>
映画heston

ハリウッドの名優・大スターチャールトン・ヘストンさんが、4月5日にお亡くなりになった。残念だ。
先月の3月24日には、リチャード・ウィドマークさんがお亡くなりになったばかりだったので、これで二人もハリウッド映画黄金期の大スターを失ったことになる。
お二人とも本当に強いアメリカを代表する男優で、70mmスペクタクル映画と西部劇というまさにアメリカ映画の神髄を見るようなスターでありました。

つい数日前に見た『ラッシュアワー3』に、1965年『偉大な生涯の物語』で、チャールトン・ヘストンさんと競演されたマックス・フォン・シドーさんが出ておられたので、それを見たおりにチャールトン・ヘストンさんはいかがしておられるかを案じていたところでした。

チャールトン・ヘストンさんは、後年保守的タカ派で米国ライフル協会の会長を務められたほどの人物ですが、若い頃のイメージは違っていましたね。
力強いマッチョな肉体に、正義の心を持った本当に信頼すべき、頼れる男でした。
当時のアメリカそのものが、強い男が正義という論理ですでに亡くなった西部劇スタージョン·ウェインさんもしかりです。
ただここが大事なのですが、ヘストンさんは大俳優でありますが、とても心優しいお方なのであります。無論お会いしたこともないのですが、私の心の中にはそのようなイメージが形作られています。

<かの名著、伊丹十三さんのエッセイ>
本itami01

この本は名監督と呼ばれるほどになった伊丹十三さんが書かれた1965年の本です。かれは『北京の55日』という大作映画で俳優としてチャールトン・ヘストンさんと競演されています。
このちょっと古い名エッセイ『ヨーロッパ退屈日記』の中に書かれたチャールトン・ヘストンさん像というのが、私には確固たるイメージとして残っています。
逞しきいい男のヘストンさんが、実に心優しい男性であることを随所に語っておられる。
俳優の仲間内から“チャック”と呼ばれたヘストンさんが、撮影の合間ロンドンで乗馬靴を買う話など、これはとても面白い。伊丹流のユーモアとセンスがなきゃ、こんなに愉快でおしゃれな文章は書けない。要約して話すのが困難な事なのです。
その話はいつかまた・・・・・
この本の表紙を見ていただければわかるように、当時は“伊丹一三(いたみいちぞう)”というお名前でした。

それにしても惜しい俳優さんです。ご病気だそうでしたけれど、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

居ながらにして楽しめるレポート

  • 2008/04/07(月) 08:20:47

マイコミの記事を読んでいましたら、こんなレポートがありました。

東京ぶらり船巡り - 小名木川で"日本のパナマ運河"なる扇橋閘門を通過
1 お江戸下町乗船モニターで目指すは"日本のパナマ運河"
2 巨大な荒川ロックゲートなど見所いっぱいの小名木川
3 小名木川最大のビッグイベント扇端閘門通過
4 ヨーロッパのような風景を楽しみ、そしてお江戸深川さくらまつりへ


東京ぶらり船巡り - 小名木川で"日本のパナマ運河"なる扇橋閘門を通過
江戸の下町、深川を水郷の町らしく舟で散策する“下町の観光スポットを巡る「お江戸下町乗船モニター」”
こんなモニターがあることを知っていれば、一応応募してみたのに・・・・
これが定例のコースにでもなるのなら、一度乗ってみたいなあ。

水辺から見る知らなかった江戸が、その風景が見えてくるような気がする。

お年を召すと何故に顔はふくれるみたいだね。

  • 2008/04/06(日) 11:33:13

<面白くはあるが、全体に年をとったな>
映画rushhour3

どういう仕組みなのか?人間の性なのか?はたまた重力の関係なのか?
人間の顔は年をとると膨らんでくる。
ほとんどの映画スターも、若い頃からすればお顔がでかくなっている。
今では時代劇スターなのか、TVタレントに成り下がったのかわからない高橋英樹さんなどを見るとよく判る。
他人様の前に顔をさらす商売の方々は、過去の写真が現存するので比較されやすいが、自分の顔を見てもよく実感出来る。

で、『ラッシュアワー3』だけれど、ジャッキー・チェンさんも、クリス・タッカーさんも、そして真田広之さんまでもが顔が膨れている。

ジャッキー・チェンさんはずっと沢山の映画に出演されておられるので、その変わりようが徐々にしかわからないので目立たない。でもクリス・タッカーさんは、ラッシュアワーシリーズ以外のほんの十年前の作品『フィフス・エレメント』の頃を思い起こせば、あきらかのぶっくらと顔がでかく、だらしない感じだ。
真田広之さんでも『ラスト・サムライ』とは違うイメージであります。
皆さんお年をお召しになったなあというのが凄いインパクトで、映画を最期まで見ることになった。

そこへ行くと、かつても名優マックス・フォン・シドーさんなどは全然お変わりならない。極端な話ですが、1965年の『偉大な生涯の物語 』という映画の頃と顔形は変わらない。
特に白人系でドナルド・サザーランドさんもそう言えば、年はとっていらっしゃるが細面のままだ。これも古いが1971年、ジェーン・フォンダさんと競演した『コールガール』を見れば歴然とする。確かに白髪で髭など伸ばして、老人にはなっておられるがお顔は細いし、たれてはいない。
実に羨ましい。何か秘訣があるのか、体質なのか。

三人三様、生きざまは様々。

  • 2008/04/05(土) 08:11:08

この年になると、不幸なことを耳にすることが多くなる。
昨年11月28日にも「好ましい話題とは思えないが・・・・」ということで、当県が自殺率の高い話を書いた。

果敢な壮年の時期に、病魔に冒されることは大変な苦痛であろう。
悩める人生を送らざる得ないのは、神様のイタズラとも思えず、人間の業の深さでもあり、やはり辛いことであります。望んでそのような苦しいことになるわけではないが、災いが降りかかった本人にしてみれば、その後の処し方が一番の問題ではなかろうか。
私の知り人のうちの三人に災いが降りかかった。

一人は喉頭ガンで、妻と成人した子供を残して、自分自ら命を縮めて逝ってしまわれた。

一人は骨のガンで、転移したのち左腕を人工骨で補い、右手に頼る生活をおくられている。しかも先々の時間にも限りがあるため、今一生懸命に絵をお描きになっておいでである。
元々が本業ではないが、いろいろな賞をいただかれるほどの絵の名手で、上手な方です。残せるものを残しておこうというご意志から、個展も開かれる予定であると聞いた。
つまりは、積極的に生き抜く姿勢が旺盛なので立派だと思う。

そして今一人は、腎臓が悪化して、現在人工透析を余儀なくされている。
この方は無謀な飲酒と、不摂生がたたっていると奥様は言われておいでだが、とても悲観的で生きる望みをほとんど失っておいでとか・・・
未来に希望を持てない、通院などにかかる疲労から暗くなりがちな生活で落ち込んでおられる。
子供さんがまだ未成人であるため、生活は奥様一人の肩に掛かっている。
そうした諸々の悩みが、仕事の出来ない本人のいらだちで些細な事で荒れてしまう。
傍目から見ても可哀相に思えることがある。

神様や仏様は、何もお救いにはならないし、人間は平等ではない。
お金や身分に関しては平等でなくとも、せめて病気にだけはみんな罹らずに平等に健康でいられない者だろうか。
神様、仏様にお願いをしたい。

随分と進んだ調理家電

  • 2008/04/04(金) 07:13:36

<ナショナル・オーブン電子レンジ NE-W300>
雑NEW300

7、8年ぶりに電子レンジを買い換えた。
ナショナル『オーブンレンジ NE-W300』
大概に電気製品が値下がっている中で、昔の価格と変わらない商品が電子レンジかも知れない。
無論安い品物は沢山あるが、今回ヘルシーにちょっとこだわった。

300度を超すような水蒸気で加熱したりすると、余分な油や塩分がカット出来るという。水で調理を行うと言えばふ~んという感じだが、使ってみると具合がよい。
蒸し物も簡単、魚を焼くことも上手。
ケーキは出来がよく、むら無く焼ける。
角皿二枚の二段オーブンは、マドレーヌ程度のものならば、一度に18個むらなく上手に焼いてくれる。

単純な暖めも、ワット数が高いために素早いし、全ての作業はほとんどが自動。
自動の調理メニューが豊富で、割合簡単に面倒な肉料理が可能である。
しかも複合調理というのか、焼くことと蒸すことをいっぺんに同じ調理に中でしてくれるので、複雑な調理法がなく、柔らかくふっくら仕上がるものが多い。

なにの加減なのか、中に入っている角皿、波皿の加熱後の温度の下がりがとても早い。
DVDで編集されたレシピ集や、調理の手ほどきが面白い。
年を取ってからの有効な時間の活用になる。
この機械はとても重宝している、電気代が心配なくらいに・・・・。

「人の心を想う」思いやり小説

  • 2008/04/03(木) 11:17:50

<いびつな茶碗が並ぶ山本祐布子さんの表紙絵>
本yamamotoomou

山本周五郎著『想う』、山本周五郎中短篇秀作選集の第三巻であります。
この選集は第五巻まであり、おのおの漢字一文字、ひらがな一文字の言葉でまとめられています。

第一巻 待つ
第二巻 惑う
第三巻 想う
第四巻 結ぶ
第五巻 発つ


その第三巻には、

「壺」「松の花」「春三たび」「藪の蔭」「おもかげ」「萱笠」
「墨丸」「風鈴」「彩虹」「七日七夜」「ほたる放生」
「ちいさこべ」「あだこ」「ちゃん」「その木戸を通って」


以上十五遍の中短篇が掲載されています。

どんな苦境にあっても、
一途に相手を想う、明日を描く。
生誕100年の時を越え、
いま新たに蘇る珠玉の作品の数々。


どの物語を読んでも、人を思う優しさにあふれています。
殺伐としたニュースの多い中、こんな物語の中へ逃避したくなるのも、優しい人間の自我であるかも知れません。

時折山本周五郎作品に不思議に思われることがあります。
この本はまだ新漢字であったり、新仮名遣いであったりしますから、読みやすいのですが、かなり難解な漢字使いをするところと、え!こんな字書いてるというような簡単なひらがな書きなどが混在します。何かの意図がおありなのでしょうが、例えば“御主君”が“御しゅくん”という風になっている。探せばきりなくありますし、凡例の解説文にてもそこのところはわかりません。

この作家の本質的魅力をつぶさに感じさせる文面があるので引用しますと、

「その人たちには私が栄(は)えない役を勤め、いつまでも貧寒でいることが気のどくににみえるのです。なるほど人間は豊かに住み、暖かく着、美味をたべて暮らすほうがよい、たしかにそのほうが貧窮であるより望ましいことです。なぜ望ましいかというと、貧しい生活をしている者は、とかく富貴でさえすれば生きる甲斐があるように思いやすい、・・・・・美味いものを喰い、ものみ遊山をし、身ぎれい気ままに暮らすことが、粗衣粗食で休むひまなく働くより意義があるように考えやすい、だから貧しいより富んだほうが望ましいことはたしかです、然しそれで思うように出世をし、富貴と安穏が得られたら、それでなにか意義があり満足することができるでしょうか」

「・・・・・おそらくそれで意義や満足を感ずることはできないでしょう、人間の慾望には限度がありません。富貴と安野が得られれば更に次のものが欲しくなるからです」

「たいせつなのは身分の高下や貧富の差ではない、人間として生まれてきて、生きたことが、自分にとってむだでなかった、世の中のためにも少しは役だち、意義があった、そう自覚して死ぬことができるかどうかが問題だと思います、人間はいつか必ず死にます、いかなる権勢も富も、人間を死から救うことはできません、私にしても明日にも死ぬかもしれないのです」


この章では有能な貧しい身分の低い主人公が、周りや親類に転職を勧められ、それをやんわりと断るシーンに、主人公が長々語るのです。
時代小説は、主に身分制度が優先され、主君に仕えることが武士の生きる基本であります。
滅私奉公の言葉もありますが、“私事(わたくしごと)”は二の次の時代に、自分の生きざまについてこの様に語る主人公は、作家山本周五郎さんの分身なのでしょう。

DVDで映画三昧の日々

  • 2008/04/02(水) 23:33:26

することといえば、庭の植木の剪定とDVDで映画を見ることだけ。
時代小説を読むのをくわえれば、これはまさに暇人としか言いようがない。
それにしても沢山見てしまった。
内容もそこそこにばらばらで、とりとめがなかった。
ローグアサシン
女帝
主人公は僕だった
50回目のファーストキス
THANK YOU FOR SMOKING
マリー・アントワネット
レミーのおいしいレストラン
HERO
ミス・ポター

<この写真のお二人がとても素敵でした>
映画potter

映画『ミス・ポター(Miss Potter)』ピーターラビットの生みの親、ビアトリクス・ポターの半生を描く感動のトゥルー・ストーリー。レニー・ゼルウィガー、ユアン・マクレガー主演作!世界中の女性に贈る感動のラブ・ストーリー。
製作年:2006年/製作国:アメリカ
カラー/1時間33分/6巻/2545m/スコープサイズ/ドルビーSRD/SDDS/字幕翻訳:戸田 奈津子


“世界中の女性に贈る感動のラブ・ストーリー”というだけでなく、多くの男性にも感動を与えて下さる映画です。でも余りめそめそ泣きません。

ビアトリクス・ポターさんの純粋な生きざまを、丁寧にレニー・ゼルウィガーは演じています。
真っ赤なほっぺで、着飾らない、気高く純粋無垢な魂を持ち続ける女性が、生き生きとこの映画では生きています。本当の自分の意志を持った人物として、この時代では珍しい存在であったかと思われますが、その強固な意志は常に暖かく廻りを包んでいます。

悲劇を乗り越え、金銭感覚に疎い彼女が得たものは????
そしてそれらを人々と国に与えてしまうものは・・・・

4000エーカー(1エーカーは、雄牛2頭引きの犂を使って1人が1日に耕すことのできる面積。一辺が63.61メートルの正方形)の広大な土地を自然を保護するという大事な目的のために寄贈するのです。
しかもそれらはイギリス北西部の「湖水地方」と呼ばれる美しい土地なのです。
その「湖水地方(Lake District)」という名すらもとても感銘深い。
汽車で走ると平坦で余り高低差のないイギリスですが、この地方は湖や小山の連なる美しいところなのですよね。

ちょっと気になっていたこと。

  • 2008/04/01(火) 19:13:41

1月に結婚した娘は、猫を大事に飼っている。
ほとんど外へ出たことのない“箱入り猫”ですし、娘意外の人間にはあまり接触をしたことのない環境でずっと生きてきました。
新たに旦那さんが増えて、あの猫はどうしているだろうかと猫の方の心配をしていた。
ところが急に事情が変わり、娘は旦那さんのご実家へ同居と言うことになりました。
さあ心配なのは、その猫のことです。
どのような暮らしをするのでしょう。

娘は普通の人間ですから、先様との同居は上手くやっていけるでしょうが、このあまり他人と接したことのない猫は心配です。
ましてこの家には小さい犬が元々いるのです。
そのことを案じていましたら、元気に屋根裏で暮らしているということでした。
“屋根裏”というのが気にはなりますが、この家は結構古い造りでありますので、さもありなんと安心しました。
犬とは棲み分けているみたいです。


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