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剣の冴えは、筆の冴え(佐江衆一)か?・・・その②

  • 2008/03/28(金) 18:55:42

先日映画を見ていて感じたことがあります。
今の映画の映像技術は、表現出来ないものがないほどに高度な発達を遂げています。それは古典、SF、現代物その他ありとあらゆる分野に於いて、映画を素晴らしい作品に作り上げています。
そこで私の好きな時代小説を、時代劇に直した場合を想定してみるとどうでしょう。

時代小説には出来て、時代劇には出来ない、つまりは書くことは出来ても、映像では描きにくいものがあるということがあります。
映像は一瞬の時の流れの連続でありまして、人間の視覚的記憶には訴えますが、心理的記憶には弱いのです。物事を反芻して読み返すことの出来る小説に対して、映画ではこの部分が出来ないのです。

「剣理において死活を論ずれば、即ち一刀の下(もと)は必ず死地なりじゃ、その死地にあって生を求むればかえって死を得、これを死中の死と申す。逆に死地にのぞみて死を求むればかえって生を得る。これを死中の活と申す。
おのれの生を捨ててはじめて生を得るということじゃ。・・・・(後略)」


老剣士が悟りの気持ちを若い嫁の女剣士と語り合うシーンであります。
かなりの名優が語っても、なかなか映像ではこの様な意味合いは理解出来ない。
本になされたものが故に、何度も反芻して理解を得られるものでは無かろうか。
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