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痛快無比、しかも健全なり。・・・・その②

  • 2008/04/19(土) 08:08:34

澤田ふじ子著『家宅の坂』について、ちょっと下記足らないこと。
澤田ふじ子さんの本は、あとがきがいつも面白いと感じているので、ここもしっかり読ませてもらった。
時代小説に何ら関係ないような記述ではあるが、時代に不変の人間の本質問題を語っておられます。
この本の一番の問題点も、リストラクチャーに対する弱い人間の持つ底力について、よくよく考えられている。リストラクチャーはする人間も、される人間も大変なのでしょうが、往々にしてする側の企業、或いは藩の重役も問題が多いのです。
自分たちの賃金或いは知行には減額はなく、本当に根本的、徹底した本質的改善のなされぬまま、人員的首切りがなされているのです。

また不可解な人間の特性だが、志操堅固な人物でも、地位や名誉などを得ると、これがころっと悪く変質いてしまうのがふしぎだ。


と書かれていて批判的な大事なご意見が書かれている。

日本人の最大多数は、高度成長期やバブルの最中でも、決して中流ではなかった。
こうした多数の人々が中流意識を持ったときから、日本人は生きる力を失って脆弱になり、危機に対する備えを忘れてしまったと、わたしは思っている。


そして締めくくりに、

国家、企業、商店、さらには家庭でも、これが駄目ならつぎはこれ、またそれが駄目なら次の備えはこうだという具合に、三段階ぐらいの対応策を常に持ちたいものだ。
業績が悪化したら即リストラでは、誰が見てもお粗末にすぎよう。



誰が読んでも当たり前なのだが、この当たり前の言葉の数々が、時代小説本のあとがきに書かれていることが素晴らしい。
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