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あちらこちらに、同じことが載ってはいるがそれもまた良し。

  • 2008/05/06(火) 21:05:45

<ちょっと稚拙に感じる絵も、これだけ沢山見てくると味わい深い>
本sawadahotarunohashi

澤田ふじ子著『蛍の橋』
“橋”と名がつく読み物が、澤田ふじ子さんには五冊ほどある。連作でもシリーズという物でもないが、この方はよほど橋がお好きであるらしい。
先日読み終えた『天空の橋』は、若狭の方から焼き物好きが昂じて、京焼きの職人となり、最後には大きなお店を任されるほどになる男の明るい物語でした。夢があり、未来があり、そして主人公を取り巻く人々が、暖かく彼を見守り育てていく、とても読んでいておもしろい小説でした。

ただ今度の本『蛍の橋』は、最後が寂しすぎる。このたびも美濃の陶工が主人公で、美濃の国から京都に焼き物の修行にくるものの、当時の京にはいまだ豊臣の残党が倒幕の機会をねらっている時代で不運な空気が漂っている。
主人公は京で知り合った立派な坊様に心酔するが、彼はかの反徳川の反旗を翻して、大阪城で討ち死にした真田幸村の子であった。この者を祭り上げ、徳川転覆をねらう輩との絡みで、主人公の生き方はおおいに変わってしまう。
倒幕の一味でもない主人公は、しがらみで捕縛され、最後は無惨にも磔になってしまう。
ちょっと私には可哀想さだけが先に立ち、おもしろく読まなかった。

おかみさんの呼称は公家言葉。一般公家の当主を殿様(とのさん)、夫人を御督様(おかみさん)といい、これが上層町衆の中に広まって、女主をおかみさんと呼ぶようになり、やがて女将の字を当てられたのである。


こんな記述があります。
これは表現方法は異なりますが、同内容のことがあちらこちらに書かれています。他作の澤田ふじ子さまは、この事をいろんな話の中に書いておられることをお忘れなのか、くどい性格なのか。

牢人は浪人とも書かれる。
浪々の身などとよく表現されるが、この浪々は本来、牢篭(ろうろう)と記すべきで、浪人とは浮浪者の意味。江戸時代後期に混同され、浪人が一般的になったのである。
(中略)
時代が文字本来の意味を失わせてしまったのだ。


この事も書かれていたような気がする。

で、何が言いたいのかというと、作家さんも多作な方の作品を読み続けると、いろんなことが重複して書かれていることを知ることになります。
これほど物知りで、時代考証に厳しく、京都という土地にこだわって物書きされている“澤田ふじ子”さんが書かれる大事な知識を学ぶには、こんなところにこだわって読む必要がある。・・・かな?

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