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人間の業をよくとらえ、女を極めた作品。・・・その②

  • 2008/06/16(月) 07:03:25

澤田ふじ子著、『女狐の罠』
今回の話の「真贋の瀧」中に、こんな会話がある。

「永劫なぁ。この永劫については、二つの話が古くから伝えられている。まずここに一里四方の大きな岩があると思うがよい。この岩に仙人が百年に一度きて、手に持った刷毛(払子)ですっと岩を撫でて去る。こうして岩が擦り減ってしまうまでを、刷毛劫(はけごう)ともうすそうじゃ。また別に芥子劫(けしごう)ともうすものもある。ここにやはり一里四方の高い塀が構えられている。やはり百年に一度仙人が空から飛んできて、一粒の芥子の実をぽとんと落として去っていく。一里四方の高塀の中が、芥子の実でいっぱいになったのが芥子劫。永劫とはそのいずれかなのじゃ」


つまり“劫”と言う時間の悠長さを表した話しとして披露されている。
2007年1月に書いたブログ「小沢章友著『闇の大納言』を読んだ。その2」の中に、同様に話があって記録している。
この時は「盤石劫」と書かれていて、仙人の刷毛ではなく、天人の衣が岩を擦る減らしていく。

牛に車を一日牽かせると届く距離=一由旬(いちゆじゅん)
一由旬が一辺の長さくらいの大きな岩。
この岩に百年に一度、天人が舞い降りてくる。
その天人の衣の裾が岩に振れることで、岩が磨り減る。
この岩が完全に磨り減ってもなお、一劫という時間は続いている。


考えられないほどの永久の時間の長さ。
この挿話以前に、私がたまたま知っていた「芥子劫」についても簡単な計算をして書いている。

一里四方の長さの塀で囲まれて囲いの中
百年に一度、天人が舞い降りて芥子粒を一個投げ入れていく。
その囲いの中が芥子粒で満杯になっていった時間。
芥子粒と芥子粒との空間を考えず、体積比だけで計算しても、
ざっと『三千五十七京三千二百四十八兆四千七十六億四千三百三十万年』
数字の桁数は19桁。概算ではあるが0が18個、人間世界の数の単位とは思えない。


こんな普段に役にもたたない、無駄とも思える知識が得られる事は、本読みの大いなる楽しみです。
また良く江戸の時代小説に出てくる言葉、
“伊勢屋稲荷に犬の糞”、下品な言葉ではあるが、江戸の数多くあるものを言い表した見事な表現であります。
これが京都では、
“伊勢屋三河屋犬の糞、近江屋丹波屋豆の数”と言われていたようです。
これもちょっと愉快ではないですか。

そういえば、この本には“あとがき”がない。
最近刊の澤田ふじ子さんの本には、この楽しく鋭い“あとがき”が愉しみなのですが、やはり以前には書いておられないのでしょう。
先日読み終えた『暗殺の牒状』など、それだけでも素晴らしい文章だった。
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