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説明しにくい話ではありますが・・・。

  • 2008/07/03(木) 09:25:59

滅多にしないことではありますが、本日ご飯を茶碗によそいました。
三人分をよそったあと、しゃもじ(めしげ)についたご飯を、どうしようかと迷ったすえ、自分の茶碗の縁(へり)でこさぎました。
実にうまい具合に「宇都宮の吊り天井飯」ができあがりました。
そこでこの「宇都宮の吊り天井飯」なのですが、実際に宇都宮の人たちがそのように呼んでいるかどうかは知りませんが、私の好きな言葉なのですよ。
茶碗の縁でしゃもじをこさぐのは、本当は下品な行為でして、みっともないのですがね、その言葉が大好きなのですよ。よくこの状態を言い表していると感心します。

もともとは柳家小さん師匠が噺していた落語で、若い頃に覚えた言葉だった。その落語がなんだったかよくは覚えていないが、勘当された馬鹿息子が湯屋(風呂屋)に居候をしている。
そうだ!、題名は「湯屋番」でした。
その居候の馬鹿息子が、いろいろ独りごちて愚痴を言っているシーンに出てくる。
「居候、三杯目はそっとだし」と言われるほど肩身の狭い居候に、風呂屋のかみさんがよそってくれるその様を表現している。水を張った丼鉢にしゃもじをつけて、水を含んだところでご飯をさっくり浅くよそう。その折に茶碗の縁でささっとご飯をそいでよそうと、見た目には茶碗一杯にご飯がよそってあるようだが、“宇都宮の吊り天井”のように茶碗の中身は空っぽな状態なのです。
茶漬けにしようものなら、茶碗の底に米粒が浮かぶという感じなのでしょう。柳家小さん師匠はとてもこの部分を面白可笑しく語るので、子供ながら忘れられませんでした。

大人になるまで、 “宇都宮の吊り天井”がわかりませんでしたが、当時は言葉が面白くよくよく頭に入っていたものです。
時代小説にはこの“宇都宮城の吊り天井”で、将軍を暗殺しようとした話があります。

こんなにくどくど書いてしまうと、落語の面白さはなくなってしまいますが、それでも自分で茶碗に飯をつぐときにはいつも思い出します。

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