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“とぼれん”やつやけど。・・・・・その②

  • 2008/09/20(土) 12:37:05

佐藤雅美著『向井帯刀の発心』、「物書同心居眠り紋蔵」シリーズの第八弾。
この作家様には独特の文体があって、慣れるととても読みやすい。慣れないとちょっと気難しく感じる。前日の書いたが、時代考証や史実の正確なこと、しきたりに詳しいこと、江戸時代の民刑法典に通暁されていること、江戸の町を歩いているかと錯覚させられる地理感覚、いずれもとても面白い。

ところがどうしたことかですね、「韓信の股くぐり」の176頁あたりと、「どうして九両(くりょう)三分二朱」の冒頭部分に、おおよそ20行ほどに渡って同じ文面がある。
つまり五話目から六話目に移るときに、「あれっ、これは読んだぞ」と錯覚をする。前の段の話が要約されて語られることは、ままあることで不思議ではないが、このようにほとんど同じとなると錯覚をする。
こんな所は内容が内容だけに面白い。

時代小説を読んでいると、一般にカタカナ語は少ない。現代に使われる当時にはないモノなどカタカナ語が多いため、時代小説本を図書館で探すときなどに、パラパラッとめくってこのカタカナ語のあるなしで探すことが便利だ。
仮に時代小説で、カタカナ語があったとしても、評論家まがいの作家が理論的?面白くないものが多い。
ところが佐藤雅美さんは意外なところで多用される。
“ケースバイケース”“プロパーナンバーワン”“ナンバーツウ”まだまだあるが、これなどは現代用語です。
“ドッカーン”なんてのは擬音ですから仕方ないですけれど、“悪”も“ワル”と現代風です。
“タタキ”“コハダ”は、普通の作家さんは タタキは“三和土”と書きますし、刑罰の場合は “敲き”と書かれているようです。コハダも“小鰭”が多いようです。
岡っ引きが人を番所に呼ぶとき「鳥渡(ちょっと)こい!」と当て字で書くほどの方ですから、尚のこと面白いと感じます。

ところで同心であるが、時代劇にはよく登場する。

「相手がたとえ御家人でも、しがない町方同心よりは格は上」


という自分たちを卑下する会話がある。
これについて、下記に解釈されている。

同心は卒(足軽)。御家人は曲がりなりにも士(武士)として扱われる。


つまりは同心と与力とでも、この違いはあるのです。
あの颯爽と着流しで活躍する同心は、二本差していても武士ではないのですよ。
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