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何処に『帰って来た木枯し紋次郎』?

  • 2008/10/16(木) 07:28:30

<まるで劇画風な中川惠司さんの表紙絵、雰囲気出ています>
本SASAZAWAMONJI01
笹沢左保著、『帰って来た木枯し紋次郎』。
帰って来たと言っても、ふるさともとどまるところもない渡世人・木枯し紋次郎の場合は、何処に帰って来たのでしょう。多分、愛読者の心の中に帰って来たのでしょうね。

この笹沢左保さん「木枯し紋次郎」シリーズは、著作者自身の代表作であると同時に、日本の数ある有名本の一つに数えられるほどの作品群でしょう。
1972年に中村敦夫主演でTVドラマ化されて以来、これを知らない日本人はいないと思われるくらいのブームが起きましたから・・・。
中村敦夫さんは、当時“時代の寵児”と呼ばれたくらいの人気者でした。
この中村敦夫さんは、現在でもご自身の公式サイトに「monjiro.org」と名付けておられるほどですから、この方自身も「木枯し紋次郎」に思い入れが大きく、また世間の知名度の高さを意識しておいでなのでしょう。

作品は五編の短編からなっています。

生きている幽霊
泣き笑い飯盛女
諸行無常の響き
舞い戻った疫病神
新たなる旅立ち


笹沢左保さんは2002年にお亡くなりになっていますので、この1995年に書かれた作品は晩年の著作です。内容の方もなんだか枯れた味わいが感じられます。
勝手にそのように思いこんでいるのかも知れませんが・・・・。
この五編は二ヶ月に一回の割で“小説新潮”に連載されていたようです。

「あっしには、かかわりのねえことでござんす」と文中で、紋次郎が言う台詞(TVでは若干の違いあり)が一世を風靡するほどのブームだった。
現代の人にどのくらい通用するかは知らないが、同世代の私たちにはとても共感があった。
世間につばを吐いて、何かにつけとんがらかっていた多感な時期には、何処かさめた他人との関わりを拒否するかのような虚無的な紋次郎が、心の中に存在していた。
孤独でも自分一人で生きていく、アウトローの世界には惹かれるものだ。現実には親の庇護がなくては生きてはいけない甘えん坊であっても、世間知らずのこの時期にはあこがれたものであります。

比較しても仕方がないことだが堅気の人間と、本物の渡世人との違いというものを、紋次郎はまざまざと見せつけられたような気がした。


文中、堅気の人間から思わぬ仕打ちを受けた紋次郎の心理描写だが、これが全編を通して感じられる紋次郎の厭世感だろうと感じる。
行方当てない渡世人の生き方の方がより人間的で、ずるく他人に干渉してくる堅気の人間の善意の方が動物的で、つまらない存在であるかのようです。世間様では渡世人を悪し様に言うのでしょうけれど、人間の本質は違っているという比喩でありましょうか?

推理作家でもあられた笹沢左保さんの作品だけに、短い短編のあつまりですが、一つ一つが謎めいていて面白い。一筋縄ではない、凝った造りの作品であります。

でも今更新たに映像化しても、面白いものにはならないでしょうねえ。
『座頭市』などと同様に・・・・・。
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