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泣かずには聞いておられないお話だった。

  • 2008/11/22(土) 21:28:41

かつて親しくしていた人のお話であります。
又聞きなのですが、泣かずには聞いていられなかった。

すでに七十に近いお人です。
年少の時分に、両親を亡くし、幼い兄弟三人で満州から引き上げて来たそうだ。
六人兄弟だったらしいのだが、両親と兄弟の一人が亡くなって敗戦、他の二人の弟は満州人と中国人に貰われた。その時も辛かったらしいが、幼かったので余り記憶にのこらなかった。
本当に幼い兄が先導して満州路を歩いて、死線を越えて、そして船に乗って帰還して舞鶴港についた。
日本で役所の人が、身内を捜してはくれたが、その身内にも子供がいたので兄だけが引き取られ、大人しい弟は別の家に貰われた。

その方は少し元気な子供で、貰ってくれる所がなく施設に引き取られた。
その後、何かの縁でかなり離れた地方で養子に入った。
この養家はどうも子供を養育するのが、上手ではなかったらしく十年で不縁になった。

それでその御方は一人で生きていかなければならない事になった。

ある時、遠方の病院より、音信の途絶えていた兄の存在を知らされた。
兄は癌の末期患者で、ようやくこの方の存在にたどりついて、何十年と縁が切れていた兄を看取ることになった。僅かの間ではあったが、看病をし、死をみとり、死後の後始末と葬儀を執り行い、兄の遺言で両親が祀られているという墓地に葬った。
その時初めて、兄が引き上げ当時持っていた両親の位牌の行方を知ったという。

そしてまたある時、TVで残留孤児の放送がされていた。
自分たちが残してきた弟と思われる人物が映し出されている。
「なんで兄は名乗ってくれないのだ」と訴えていたそうであります。
それを涙をのんでこらえたという。
“この弟には、孝行を尽くさねばならない中国での父母がいるはずだ。”
それらを残して、日本に帰ると言っている弟とおぼしき人物は間違っている。
今更、日本語も分からない中国人となった弟が日本に帰って来ても何も出来ないはずだ。
それより中国で静かに、孝養を尽くして立派に生きて欲しい。
唇を噛みしめて、涙をのんで、画面を見て泣いたそうである。

この方はよく知っているが、とても好人物であります。
優しく、賢く、立派で、孤高としていて本当の大人であります。
人格者であります。
この方の人生の中に、こんなに凝縮された苦難があったとは、想像だにしませんでいた。
艱難辛苦などという言葉が、甘いと感じられるほどのご苦労をなさった方なのでした。

知りませんでした。
この方が、僅か十年しか面倒を見てくれなかった養家の人々を、いまだ父母と呼び、深く感謝をされていることを・・・・。
今でももう一人の一緒に帰ってきた弟の存在が分からないという悲惨な思いを・・・・。

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