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大江戸八百八町とは言うけれど・・・。

  • 2008/12/09(火) 07:31:19

映画などの台詞ではよく“大江戸八百八町”と言われる。
でも実際のところでは江戸後期には千七百余の町があったと言われている。
これほど広範な町に治安というものは、どうして守られていたかというのは面白い仕組みであります。
あちらこちらの時代小説に書かれている事で、あるいは資料にもあるのでおおよそを要約しましょう。

参考には佐藤雅美著『影帳』を参考にさせていただくと、

江戸の公的警察機構は、
定廻り同心・南北各四人。
臨時廻り同心・南北各六人、計の二十人。

同心の手先(御用聞、岡っ引き、目明かし、小者・・・通称)・南北各百六十人。
南北両方の手先、吉原に所属する手先・三十人、合計の三百五十人。

手先は使っている下っ引が各々三、四人。
これらの総合計がおおよそ千五、六百人。



たった二十人の同心が、この千五、六百人の配下を使って、江戸の治安を守っていた事になる。
当然、この他に同心の上の与力がいて、奉行書の中には物書同心や雑務の方々おられるので、もっともっと沢山の人間が関わる事になる。

ただ、石井良助著『江戸の町奉行』を見ると、ちょっと数字が違ってくる。

幕末には、
与力南北二十三騎、計の四十六騎。(享保年間には南北二十五騎で減少)
同心南北百四十人、計の二百八十人。(享保年間には南北百人で増員)


数字はきっと同心全体でしょうから、奉行書勤務の者も含めてだろうと思います。
与力を“騎”と数えるのは、旗本と同様に馬に乗る事を許された身分だからで、同心は足軽身分なのです。
いずれにしてもこの様な少人数で、世界にも稀れな人口過密都市・江戸の警察機構が作られていました。
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