スポンサーサイト

  • --/--/--(--) --:--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

名人とうたわれた人々の中で・・・。

  • 2009/04/30(木) 21:43:26

古典落語の世界で三名人と謳われたのは、古今亭志ん生(五代目)桂文楽(八代目)林家正蔵(八代目)でありましょう。将軍吉宗も八代目でありましたから、志ん生師匠を除けば八代目は何かと逸材なのかも知れません。

確かにこの三人は素晴らしい。それぞれに個性的で、それぞれに独自の芸域ですから楽しめる愉しみ方も違ってきましょう。

<実に人間離れをした、しかし魅力的な金馬さん>

人kinba01

でもありましょうが、私はこの方も名人のお仲間に入れて差し上げたい。
三遊亭金馬(三代目)であります。
豪放磊落な語り口は、実に庶民の味方である気がしますし、落語という世界が身近な楽しみであると感じさせる筆頭の方であります。
またその演目の中に出てくる数々の人々の多種多様さにも驚かされます。

『堪忍袋』での下町の大工職人さんやおかみさんのやりとりと喧嘩。
『高田の馬場』での香具師の呼び込み、中でも圧巻は“蝦蟇の油売り”。
『孝行糖』での棒手降り(ぼてふり)の行商人の売り声。
『茶の湯』での大旦那と丁稚。
『藪入り』での人情味あふれる親父、またその子とおっかさん。
『目黒のさんま』でのお殿様、お姫様そしてその家来や侍女たち。


数え上げればきりのないほどの人物が、それなりに生きて登場します。
器用にこなされたその声色は、とても臨場感を持って聞こえてきますし、貴賤、人格、人柄など微妙に訴えてくる人物の特徴をとらえて見事であります。
声帯模写ではありませんから、声を似せてるわけでもないのに、じつに江戸っ子を上手に表現して粋でイナセだったり、とても上品な女性だったり、色っぽい声音だったりとお顔には似てもにつかない魅力があります。
まあ、全体には江戸職人や大工など一般庶民がお得意ではありますが・・・・。

文楽の幇間(たいこもち)、志ん生の粗忽者などは謂わば持ち芸ですから、それほどの幅はありませんが、金馬さんのいろいろな売り声、大道芸そこのけの呼び込みは素晴らしいものです。

お笑い三人組で有名な三遊亭小金馬だった当代の金馬師匠も、すでに80歳ほどの老境ですが、やはり先代ほどには面白くはないな。
このところは個人的な好みが左右するので、勝手な事は言えないが個性的ではないと感じる。
TV芸人のはしりであるだけに、このあたりの方々は今イチな・・・・・?
スポンサーサイト

この記事に対するトラックバック

この記事のトラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事に対するコメント

ラジオで良く聞いたものでした。

いやいや、先代の金歯(失礼)金馬師匠を良く出して頂きました。
懐かしいですね。この方は東京のお生まれで江戸弁の噺家です。

父親が夜寝ながらラジオで落語を良く聞いていて、横に寝ている
私もついでに聞いていました。まだ小学生でしたかねえ。
浪曲と落語は父親の楽しみのひとつでしたから、一緒にしばしば
聞かされたものです。

ウチの父親は釣りが好きでこの金馬師匠と釣りの集まりか何かで
会ったとか会わないとか、聞いた覚えがあります。

この師匠は不幸にも千葉県の佐原で鉄道事故に巻き込まれて
九死に一生を得るのですが、そのことを良く父親が話していた
のを覚えています。同じような場所に釣りに行っていたのでしょう。
詳しく説明をしてくれましたが。

ですから、意識して金馬師匠を聞き始めたのは、その事故から
だったと思います。面白い巧妙洒脱な江戸っ子の噺家さんでした。

いまの金馬さんはちょっとねえ、比べては何ですけども、一龍斎貞鳳、
江戸家猫八と共に出演していた「お笑い三人組」の頃から大して変わっ
ていない感じがします。いつの世も先代と比較されるのはどこの世界
でも一緒ですけどね。

廓話のリアルタイムを話してくれる数少ない噺家さんでしたが、
さっぱりしていて噺家さんらしい噺家さんでした。

戦後の落語界を盛り上げたおひとりではなかったでしょうか。

  • 投稿者: nnakazawa
  • 2009/05/06(水) 11:13:34
  • [編集]

思い出がおありですね。

お父様と金馬さんを寝転んで聞いていたとは、とてもいい親子関係で涙が出ます。何やかやと親父とも思い出は甦ってきますが、聞いていてよいお話です。
家庭ではラジオはとても素晴らしい情報源で、しかも唯一の娯楽でした。私も落語や演芸はラジオでした。
まして田舎な場所では、寄席など思いもよりませんでした。寄席でこうした落語を直接聞いている人は、ラジオを聞いている私には羨ましい限りでした。

金馬さんが枕の部分で、「生きている噺家をみたことがある人は少ない」とか言っていますが、何度聞いてもこの部分が好きです。ラジオの向こう側にいる人にも、気配りがなされているようで感心します。

  • 投稿者: 光ちゃん
  • 2009/05/07(木) 15:46:55
  • [編集]

落語に映画に浪花節

ウチの父親は自営業でしたから夜早く寝ると必ずラジオを
聞きながら眠っていました。エアコンも無い頃ですので
窓を開けて蚊帳の中で浪曲道場とか落語とか親子で聞いて
団扇であおぎながら休んだ思い出があります。

親子で「何とかとかけて何ととく」なんていうのを寝ながら
やったことがありますね。落語の聞きすぎで、「七段目」の
若旦那を地で行く親子でした。浪曲なんかも好きで、利根の
川風、袂に入れてえー♪なんて今でも覚えています。

またこの父親が映画好きでして、戦前からのファンだった
みたいですね。明治40年の生まれでしたが、若い頃は
ハンサムだったようです。どうしてそういう血を引かないの
だろうと恨みますけども。

あるとき、映画に行く、と父親に行ったときに、題名は?
と聞くので、日活の「鉄火場の風」という映画、と答えたら
即座に駄目!と言われました。映画に行くのに駄目と言われた
ことがないのでビックリしましたが、小学生の私には「鉄火場」の
意味が判らず、工場か何かだと思っていたので、何で行っては
いけないのかが判りませんでした。「鉄火場」の意味を知った
のはずっと後になってのことでした。馬鹿な子供でした。

映画少年ていうのは聞こえが良いですが、映画子供でしたからね。
今思うと、映画好きは父親の影響かも知れません。

  • 投稿者: nnakazawa
  • 2009/05/07(木) 22:01:31
  • [編集]

鉄火場は知りませんよね。

鉄火場は子供の頃には知りませんですよね。
母親が鮨がだめなくせに、鉄火巻きだけは食べます。その折りに名前の由来を聞いたのを覚えています。粋な食い物と今でもこれは私も好きです。

それからやっちゃばというのが小さい頃はわかりませんでしたね。たぶんラジオかなんかで覚えた言葉だったんでしょう。

とても羨ましいお父様との関係が感じられます。
私の父は無口で年に何回しか話したことがないので、威厳こそありましたが親しめない、古いタイプの親父でした。

  • 投稿者: 光ちゃん
  • 2009/05/09(土) 07:38:13
  • [編集]

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

  • 投稿者: -
  • 2011/02/05(土) 09:16:42
  • [編集]

この記事にコメントする

管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。