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乙川優三郎著「生きる」に学ぶ、生き方の難しさ

  • 2006/03/19(日) 07:47:00

<さっぱりした村田篤美氏の書“生きる”だけに見える装丁だけれど、実は後ろに淡く篠原貴之さんの絵が隠れている。装丁は坂田政則さんの手による。>
20060319074552.jpg

乙川優三郎著「生きる」は、実に感慨深い本でした。三編の短編からなる素晴らしい濃い読み物です。

生きる
安穏河原
早梅記


中で、表題にもなっている「生きる」は、本全体のほぼ四割を占める中編です。“生きる”という一般的には能動的な言葉を、藩主の死に伴う殉死に死にきれなかった、仕方なしに“生かされた”寵臣の話なのです。

藩主の死が近いとの噂に、追い腹(殉死)を覚悟した主人公は心静かに、その時を迎えようとしている。突然、嫁に行った娘が江戸詰めの娘婿も、追い腹を切る覚悟ではないかと感じられる手紙を持ってやって来る。そして親の覚悟も気づかないまま、娘婿の行動を止めてくれるように依願して帰る。
ある日突然、同僚の一人とともに若い家老からの呼び出しを受け、追い腹禁止令を出すことをほのめかされ、追い腹を切らぬことを暗黙のうちに約束をさせられる。
藩主が逝去し、その遺体が送られてきた日、面会も出来ぬうち娘婿は追い腹を切る。娘の婚家は処罰を受け減禄され、止められなかった父を恨み、あなたの方が殉死すべきであったと示唆しつつ、義絶を申し入れてくる娘の激しい返礼。
その後、気のふれる娘、殉死できない父への苛立ちから自ら死んでいく若年の息子、病気勝ちだった妻の死、数え切れない不幸が肩にのしかかる。

今では考えられない殉死という行動は、恩義のためとは言え他人のために死ぬ行為であり、武家社会の称えられる誉れある行為とされる。昨今、社長のために死ねる社員などいるわけがない。何なのだろう?
生きて、次を担う藩主に尽くすことの方が、価値があるように思える。藩主が逝去した十五年後に、江戸幕府は殉死禁止令を出している。
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