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気になってもう一度借りてきた本

  • 2006/12/05(火) 07:59:36

<やっぱり忠臣蔵と思えてしまう表紙絵。宇野信哉という方の作>
20061122182459.jpg

山本音也著、「四十一人の仇討ち」。十一月中旬に読み終えたものを再度借りてきた。
一人の暴君の勝手気ままと、それにおもねる佞臣による些細なことが原因で起きた仇討ち事件でした。どの時代にも自分を弁えない馬鹿と、親の代からの肩書きをもって威張りくさる外道はいたのですね。
この戦いに、大儀はあるのか!?

赤穂浪士の討ち入りより遡ること三十年。
江戸浄瑠璃坂下に建つ邸に、元宇都宮藩家臣の一党が攻め入った。
泰平の世に生きる侍たちの、血を洗い合う戦いの軌跡!



本日の覚え書き
宇都宮藩奥平家が藩主の逝去に伴い、その馬鹿息子・奥平大膳亮昌能の愚挙によって失ったもの。
二万石の召し上げ(減石)と、僻遠の地・羽州山形への所替え(転封)。
驚くべきは、その日限・・・
宇都宮明け渡しが、十一月十三日。
山形入部が、同月十六日。

僅か三日間で、何が出来るというのでしょう?
サラリーマン一家の転勤とはまるで違うでしょうし、運搬輸送の手段の稚拙な時代に・・・・
なんと幕府は過酷なことをさせるのでしょう。
家士一万四千名。その家族二万五千人。
家士は武具を担ぎ、六百八十頭の馬。そして荷車。全員歩行。
奥羽の雪の中、民家の軒下、木の根方に野宿。
藩主、重役のみが陣屋宿泊。
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