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京女に生まれても、強い女性はいた。

  • 2006/12/08(金) 09:31:15

<明治維新、東京へ来られた天皇さんの行列>
20061207073404.jpg

この表紙の錦絵は、「東京御着輦」とあります。“輦(れん)”については、下記の如し。

れんよ【輦輿】
轅(ながえ)を肩に当てて移動する輿(こし)。
れんこく【輦轂】
1 輦(てぐるま)の轂(こしき)。
2 天子の乗り物。


植松三十里著、『女たちの江戸開城』。この著者の作品は以前に「桑港にて」という、咸臨丸の乗組員がサンフランシスコに着いてからのお話を読んだ。時代的にも同時代で、徳川慶喜勝海舟はちょっとではあるがここにも顔を出していた。
幕末、公武合体の名のもと、十四代将軍家茂に降嫁してきた和宮様に付いてきた侍女・土御門藤子の物語であった。『静寛院宮御日記』に収められた「土御門藤子筆記」というから書き起こされた時代小説で、あの混乱の中、二度も決死の覚悟で、江戸と京を往復した勇気ある女性の讃歌である。

慶応四年、鳥羽伏見の戦いに敗れた十五代将軍徳川慶喜が江戸へ逃げ帰ってきた。
慶喜追討令が出され、江戸へ向かって官軍が進発しようとしている。
このままでは、江戸が火の海に包まれる。
慶喜から朝廷との仲立ちを頼まれた皇女和宮の密命を受けた大奥上臈・土御門藤子は、一路今日へ向かう・・・・。


西郷隆盛と勝海舟の江戸開城談判の前に和平交渉は始まっていた!
京女の弱い身でありながら、決死の行動をしていくこの主人公と周りの人々、そして犠牲になって死んでいく女たち。哀れであるが、歴史の中に埋没していくこれらの真の女性を知ったことは有意義であった。

本日の覚え書き皇女和宮降嫁について
文久元年(1861)十月二十日、中山道。
女輿三十台余、前後に男輿百台弱。警備の武士千人、担ぎ手運び手総勢二万五千人、馬七百頭。
日程二十六日、江戸到着十一月十五日。
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