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昨日は、『武士の一分』を見に行った

  • 2006/12/07(木) 19:00:49

昨日は、山田洋次監督の映画『武士の一分』を見に行って来た。同監督の「たそがれ清兵衛」とは、またひと味違った素晴らしい映画であった。

各所に「武士の一分」という言葉が頻繁に出てくる。“武士の一分”の意味も分かって、心情も理解は出来るが、本当に現代には通じない意義深い意味合いが含まれている。

俳優、木村拓哉(三村新之丞)が素晴らしく切れている。若いだけに、きびきびとした所作が美しいし、目の見えぬようになっての対比が生きてくる。
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俳優、檀れい(妻・三村加世)が優しく輝いている。本当にお綺麗で、上品で、匂う如き艶やかさを秘め、ほとばしる情熱を包み隠している。

俳優、笹野高史が立派である。中間(徳平)という身分の低い役柄は、普通の映画では端役で目立たないし、陰の如き存在である。その証拠に、坂東三津五郎演じる身分の高い侍(島田藤也)について歩く中間が出てくるが、顔すら覚えていない。この映画では各所に、この人が魅力ある生き様を出していた。果たし合いで、この坂東三津五郎の片腕を切り落とす直後、画面には見えないが笹野高史さんが羽織を着せかけるシーンは唸ってしまった。役柄とはいえ、「下郎」と蔑まれる身分を演じるうちに、卑屈になってしまうことがある様な気がして気の毒だ。
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俳優、歌澤寅右衛門(うたざわ とらえもん)さんは、実に愉快であった。尊大な藩主役であり、お目見えの場でも、実に素っ気なく「大儀」の一言で労う様な人であった。が、そのヌーボーとした外観からは想像を超えた優しさが、後で示されるという設定。その部分が映像でないが為に、後になって「アーッ」と言わせる。見事に尽きる。

俳優、赤塚真人が人柄を全面に出して好演している。彼はどの映画でも悪人になれない、田舎ものだけれど純朴で重要な役をこなす。

俳優、緒方拳が映画を締めている。厳しく、激しくそして暖かだ。台詞こそ少なく、ほぼワンシーンしか顔を出さないが、真の武士の生き様を匂わせて光っている。

俳優、大地康雄は貫禄を見せる。真摯な態度の医者を演じているをは、久々に映画の中で見た。そのまま地で演技をしている様な頼れる俳優で、存在感が魅力だ。

沢山の俳優が映画を築いている。

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