スポンサーサイト

  • --/--/--(--) --:--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

懐かしい“次郎長もの”の本

  • 2007/03/01(木) 07:49:51

<シンプルな金文字だけの表紙>
20070301075058.jpg

はや今年も三月だ。義弟が山形へ出かけたそうだが、雪もなく寒くもなく予想を裏切ったお天気だったそうだ。

2月22日のブログに、文字だけが表紙に書かれた山本一力さんの本を紹介したが、その中の一冊がこの本『背負い富士』です。
東映の時代劇を見て育った世代なので、この“次郎長もの”はなんだか懐かしいし、それだけでなく広沢虎造の浪曲などでも馴染んだ人物だった。
と、書いていたら、著作者自身もあとがきに、私と同じ感慨をもって書かれていた。僅か数ヶ月の生まれの違いですから、全く同世代、入ってくる情報もそれほど地域が違っていても変わらなかったのではないだろうか・・・
ただ違っていたのは、才能ある作家さんは魅力ある作品を書き、才能もない凡人はそれを読むだけ。

侠客、任侠などと格好良く言っても、所詮はやくざなのですから、それをもてはやすのは可笑しいことなのです。それでもあの当時は疑問にも感じなかったし、これらの映画や浪曲、そして本の中に出てくる人々がヒーローだったのです。
新撰組も同様に、人殺しの集団であったことには変わりないのに、人々の人気の的であり続けるのは何故なのでしょう。
根が几帳面で真面目な私には、終生解らないテーマです。だからと言って嫌いなわけではないのだけれど・・・

幕末、米国まで行った咸臨丸は、清水港の沖合で嵐に遭い、乗組員は官軍に始末されてしまいます。その折、賊軍として死体は海に遺棄されたままであって、片付けることも埋葬も許されずそこここと漂っていたと言います。
この時、清水の次郎長は、「人は死ねば皆仏様」として、周りの反対を押し切って片付け埋葬をしたという奇特な人物であります。この一事は凄いことだと思います。
「侠客」の『侠』とは、この人物のことでしょうね。

スポンサーサイト

この記事に対するトラックバック

この記事のトラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事に対するコメント

この記事にコメントする

管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。