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本当に中毒になる“澤田ふじ子”節

  • 2007/11/19(月) 20:55:16

<深井国さんの表紙絵には、何処か不気味な怨念が・・・>
20071119202518.jpg

本は図書館から借りるのだけれど、ア行からワ行を一度巡って、再度ア行に戻ってまたサ行に来ている。そこでここのところ、また澤田ふじ子さんの御本に引っかかっています。
このブログの4月1日に「久々の“足引き寺閻魔帳”シリーズ」にも、同じようなことを書いているのだけれど、

江戸の話を主に読んでいる私にとっては、澤田ふじ子さんが語る京言葉が面白く聞こえる。
良く聞く、柔らかなおっとりとした、いかにも上品そうなドラマの京言葉と違って、骨太で男らしい語尾に、“ぞよ” “わい”・・・・と此処まで書いて、この語尾のことは前回書いたような気がし始めた。


この一種独特の会話が、しかも聞き慣れぬ語尾が頭に残ってしまって、どうもこの“澤田ふじ子”節の世界から抜け出せないでいる。

TVの影響や、時代劇、時代小説で言葉は確かに、関東の言葉が馴染んでいる。京都には遊びに入ったことがあるが、友人、知人もいないし、お笑い芸人の話す言葉は下品な大阪弁ですので、典雅な京都弁というもにに馴染みがない。
ましてや紙に書かれた台詞のやりとりを、適度に頭の中で繰り返し、ときには声に出しながら喋ってみると、それ自体が正しいのかどうかすら解らないのに、実に愉快な気分だ。
突然、誰かに話しかけられたら、実に不気味な京都弁まがいで返事をしそうなかぶれぶりであります。

短編六話で構成されており、

第一話 白い牙
第二話 嵐山殺景
第三話 仲蔵の絵
第四話 色がらみの銭の匂い
第五話 盗みの穴
第六話 世間の河


実にサッパリしてして、一時ブームになった“仕掛人シリーズ”のような陰惨さがない。どの篇にもあっさりした展開で解決がなされ、後を引くことがない。
そして大事なことは、作家さんの膨大な知識が、惜しみなく披瀝されていて、京の時代風景が実に鮮やかに描き出され、都大路や京都の古い町並み、佇まいを想像することが出来る。

この本を読んでいて、今更ながら感じたことは、この澤田ふじ子さんのように多作で、沢山のシリーズを書いておいでになる方の作家活動の面白さでありました。
多分、これはあくまでも多分ではあるが、季節の移り変わりが時代小説には実に大事なことであります。その書かれた季節に、ある作品にとりかかる。そうすると、ある短編が書かれると時間が余るだろうし、同じ季節、時間を利用してまた別の短編に取りかかる。
これを繰り返していくと、いつの間にか複数の作品が同時進行して出来上がっていく。
こんなに簡単には行くまいが、でもそんな所ではなかろうか?
季節感というのはさすがに、良い着眼点だ。我ながら・・・
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