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今年初めて読んだ本・・・その②

  • 2008/01/13(日) 18:28:04

時代小説において、いつも違和感が感じられるのは身分制度であります。
江戸時代は武家社会が世の中の頂点に存在するため、武家が一番偉いのは当たり前なのですが、現代社会に暮らすものには理不尽な制度です。
徳川幕府の成立に功績のあった武士等が一番優遇されるのですが、それは時代を下ってきても、能力と力量に関係なく、禄高や地位は決まったままであります。
それは致し方ないとして、市井の社会に暮らす武家においても、武士であるだけに優遇されるものがいるのは、ちょっとおかしいと感じることが多々あります。

親代々の浪人は暮らし向きもそこそこに貧しく、一般の庶民と大差なくつましく暮らしておりますが、この本に出てくる主人公菊太郎なぞは、いい加減他人の善意の甘えのうえに優雅に暮らしています。
立派な親の元に生まれたというだけで、世話になった町人におんぶにだっこの生活をしているのです。本文にも公事宿の居候と表現されております。
人一人、衣食住をまかない、飯を食わせ、世話を焼き、小遣いを持たせてといろいろ考えるとなかなか出来ません。

居候という言葉は今では余り聞きませんが、ちょっと前までそんな存在の人がいて、また反対に経済にゆとりのある人はパトロンとか言って、芸術家などに後ろ盾になったりしていたものです。
またこの人達の関係というのは、居候をされる方は豊かな経済力と包容力とを、また悠々と居候を決め込む人も、遠慮のない悠然とした心根がないと自然と壊れてくるでしょう。へんにいじましい性格で、養われているという卑屈な態度では、うまくいくものもうまくいかないものでしょう。
この本の主人公、菊太郎は実にその辺りが上手く書けているので、そんなもんかいなと自分では納得させています。


澤田ふじ子さんの著作本はほとんどが京都を舞台にしております。京都弁にはかなり慣れて参りましたが、未だ慣れないのが会話の中の断りの言葉であります。
些細なことではありますが、武士とは如何にも威張った存在であるかのようです。

「(途中略)・・・さような代物、支度していただくにはおよびませぬ。ご無用に願いたい・・・・」


これは主人公の武士が酔ってふらふらする身体を案じて、篭を呼ぼうとするが断られる。せめて提灯でも持たせようとする料亭の主人に対しての断りの言葉である。
この「ご無用に願いたい・・・・」とか、「心配ご無用」とかよく使われる武士言葉なのだろうが、もし私が言われたら、ちょっとはくってかかるでしょうね。せっかく心配をしてやってるのにと・・・・
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